玄 関 口 【小説の部屋】 【交響曲の部屋】 【CD菜園s】 【コンサート道中膝栗毛】 【MIDIデータ倉庫】

大阪センチュリー交響楽団
第6回いずみ定期演奏会

日時
2001年1月27日(土)午後7:00開演
場所
いずみホール
演奏
大阪センチュリー交響楽団
独奏
迫昭嘉(Pf)
指揮
高関健
曲目
モーツァルト
1.弦楽のためのアダージョとフーガ ハ短調
2.ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調
3.交響曲第41番 ハ長調「ジュピター」
座席
1階O列17番(A席)

はじめに

 この日はものすごくさぶい日でした。あなたは何してましたか?
 私はと言うと奈良の山奥でずぶぬれになりながらゴルフしてました(笑)。しかも朝から降っていた雨が、昼には雪に! 歯の根が合わないほどガタガタ震えながら、白一面の野っ原にゴルフボールを打ち込んでいました(大笑)。
 ……神様なんてきっといない。
 で、ゴルフから帰ると、道具そのままでいずみホールへと直行したのでした。

弦楽のためのアダージョとフーガ ハ短調

 弦楽5部のみの演奏だが、なかなか厳しい表情付けで進められてはいたもの、フーガを構成する各旋律線の描き込みがやや弱いように感じた。
 高関は各パートに主題が顔を出す瞬間をテキパキと指示していたが、それをオケが有機的に他の旋律と絡み合わせるまでにはいかなかった。
 メインディッシュのジュピターに若干の不安を抱かせるものとなった。

ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調

 ピアノがセットされてから、弦楽器奏者と一緒に管楽器奏者もステージに上がり、ソリストを迎える準備を行った。
 今日のオケの配置で特徴的なのは第2Vnが右の方へ行く古典配置を取っていたことだ。さらにコントラバスがステージ正面の一番奥に陣取り、ウィーンフィルを意識したものとなっていた。

 まずオケの方から言うと、冒頭センチュリーらしい精緻な弦が聞けず、ややダレだアンサンブルだったことが残念だった。
 「協奏曲はソリストのものだ」といった態度には感心はできない。
 ただ曲が進むにつれて、迫のピアノのに引きずられたのか幾分気合いの入った演奏になっていたのが救いと言える。

 それでソリストの迫だが、非常に集中力ある演奏を繰り広げた。
 彼のピアニズムを簡単に述べると、音に芯がありながら硬くなく、幾分軽めながら繊細な音色を持ち、ビロードのような美しい音がいずみホールの隅々へと広がって行くものであった。例えは悪いが歌舞伎の女形のような音をしている。
 最初のひと鳴りから自分の世界を作りだし、それに観客が引き込まれていくものとなった。
 一昨年もこの曲を聞いたが、それとは全く格が違う演奏だった。欲を言えば現世離れした透明で幽玄を感じさせる音色が欲しかったが、ここまでのものが聞けたら満足だ。楽しいコンチェルトだった。

交響曲第41番 ハ長調「ジュピター」

 この曲はモーツァルト最後のシンフォニーと言われるが、この曲を書き上げてからまだ3年間彼は地上に留まっていた。この人の太くて短い人生を考えるとこの3年はいかにも長く、せめて後2、3曲書いてくれてればと思う。もっとも彼は“職人”だったから、演奏されるあてもない曲を作ったりはしないだろうが。(ちなみに41番も含め最後の3曲は生前に演奏されていなかったというのが通説だったが、最近の研究ではそうでもなかっただろうという説が有力になってきた。ジュピターもピアノ協奏曲「戴冠式」が演奏されたコンサートで初演されたのではないかと言われる)
 それにしてもこの曲は完璧だ。何度聞いてもその造型の素晴らしさに息を呑んでしまう。この曲の前にはベートーベンの9曲でさえ影が薄くなる。(ベートーベンの人間くさい慟哭も大変素晴らしい)
 まさに最高神(ジュピター)の称号を与えられるにふさわしい曲だと思う。

 この曲は非常に繰り返しの多い曲で、特に終楽章など律儀にリピートすると(主題提示部)×2−(展開部−再現部)×2−コーダとなり、非常に演奏時間の掛かる大シンフォニーになってしまう。だからよく繰り返し記号は無視される傾向があったが、今日の演奏はその繰り返しをすべて行ったものとなっていた。
 しかしモーツァルトはそのリピートをすべて実行した上でのバランスを考えていたことは言わずもがな、だ。

 私だけかもしれないが、モーツァルトはブルックナーやシベリウスのようにその作曲家固有の“響き”が非常に重要な作曲家なのではないかと最近思うようになってきた。このひとの人なつこいメロディのせいで、その点がマスクされているのではないだろうか?
 個人的に、心から感激できる演奏がほとんどないのは、そうした理由があるのではないかと思い始めている。
 残念ながら今日の演奏もその範疇に入ってしまう。

 とは言っても演奏の方は曲の冒頭から非常に気合いがこもった素晴らしいもので、前半のだらしなさが嘘のようだった。シャンと背筋が伸びた演奏だ。
 第1楽章の音が若干軽かったが、どの楽器も感じきった歌い回しをしていた。ここの主題提示部にあるフルトパウゼ(全楽器の休止)での間の取り方がホールの残響を上手くとらえた絶妙なものだった。
 また第2楽章が非常に素晴らしく、この段階で今日の白眉はここだなと思ってしまったくらい感動的だった。しみじみと心に沁み入ってくる歌い方が堪らなかった。
 しかしと言うか、やはりと言うか、全曲の頂点は終楽章にやってきた。
 出だしこそやや強めに入ってしまったが、後は全く問題なしで、高関&センチュリーにしては熱狂的に突進するような演奏だった。
 細かいニュアンスなどに不満が無きしにもあらずだったが、提示部でジュピター音階(ド−レ−ファ−ミ)をホルンに強調させるなど「おおっ」と思う解釈があった。(これとコーダでのホルンの強奏とが呼応している)

 再現部の終盤がオケ全員の熱狂が最高に高められて非常に素晴らしく、空気がぱあっと輝く感じがして、少し神々しく感じてしまった。まさかこのコンビでこんな演奏が聞けるとは思わなかった。

おわりに

 最後の音が響き渡ると残響をしばらく味わってから割れるような拍手が起こりました。やがて「ブラボー」の声も掛かり会場は大いに盛り上がりました。
 理想から言えば、もう少しクレイジー入った音の切れがあると良かったのですが、これだけのものが聞ければ文句はありません。すばらしい演奏でした。
 帰り道は興奮で身体がポカポカし、今日の寒さなどどこかに吹き飛んでしまってました。

 総じて、ちょびっツ神様が見えた演奏会でした。

 さて次回は再び大阪センチュリーです。比較的現代の曲が並びましたが、どれも興味を引かせる曲ばかりで、とても楽しみにしています。


コンサート道中膝栗毛の目次に戻る