割と現代の音楽が並んだプログラムです。予想ではスッカラカンなんではなかろうかと思っていたのですが、いざ会場に着くとそうでもなく、2階席はだいぶ空いていましたが、1階の方はかなりの席が埋まっていました。まあほとんどが定期会員でしょうが、それでもきちんと来る所が客層の高さを物語っています。
新ウィーン楽派の中では一番苦手なウェーベルンだが、彼の研ぎ澄まされた点描絵画のような音響世界は嫌いではない。この曲はウェーベルン最後の管弦楽曲だが、今回初めて耳にした。
コントバスと金管が硬いのが気になった。また高関は拍を刻むように指揮をしたが、妙に危なっかしい所と音に切れが出ていた所とがまぜこぜになっていた印象を受けた。
この曲は非常に静かな中、突然ffで曲冒頭の音程を強調して終わるが、これが曲の終わりだと客席は誰も気付かなかった。指揮者がコンマスと握手をしてからようやく拍手が始まった。
この曲は前半2楽章は嬰ヘ短調・ニ短調で書かれているが後半の2楽章は無調(ト音記号の横に調号が無く、#や♭はその都度5線譜に書き加えられる形式)で書かれ、おまけにソプラノ独唱が加わる仰天の曲だ。今回は作曲者自身が編曲した弦楽合奏版による演奏だ。ちなみに今回初めて聞く。
《浄夜》と共通する繊細でありながらむせるような濃厚なるロマンが溢れるシェーンベルクの世界が充分に堪能でき、この美しい響きの中にたっぷりと浸ることができた。
ソプラノの三縄もイタイ詩の世界を情感込めて歌っていた。ちなみに両方ともゲオルゲの詩で3楽章が「Litanei」、4楽章が「Entruckung(最初のuはウムラウト)」だ。
曲が終わると長い静寂が続いたが、オッサンの「ヘクシ」のくしゃみで破られ拍手が起こった。
第1曲「感傷的なワルツ」 《ジャズ・オーケストラのための組曲》より
第2曲「ダンス」 バレエ《明るい小川》より
第3曲「ロマンス」 同上
第4曲「ポルカ」 同上
第5曲「ワルツ−スケルツォ」 同上
第6曲「ギャロップ」 同上
上記を見てもらえば判るが、この曲はオペラ《ムツェンスク郡のマクベス夫人》と一緒に叩かれたバレエ《明るい小川》から成っている。1曲目を違う音楽から引っ張ってきているのがショスタコーヴィッチらしいひねくれっぷりだが、実質《明るい小川》組曲と言って差し支えない。
これも今回初めて聞くが、どうしてこのバレエが批判されたのか、楽しみにしていた。
いざ聞いてみるとパロディ満載で、曲想も「バカにしてんのか?」と思うくらいのおちゃらけっぷり。これで内容が社会風刺なのだから、まあ当局に怒られて当たり前かも知れない。
演奏の方は騒がしい所は思い切りハメをはずしながら、全体の均衡がけっして崩れないことがお見事だった。非常に楽しく聞きながら、ちゃんとしたものを聞いた満足感が得られた。
客席の反応も前半と打って変わって良くなってきた。
第1曲 序奏
第2曲 火の鳥とその踊り〜火の鳥のヴァリエーション
第3曲 王女たちのロンド
第4曲 カスチェイ王の魔の踊り
第5曲 子守歌
第6曲 終曲
今日は作曲家自身によって2管編成に編曲された1919年版による演奏だ。
ご多分に漏れずこの曲も4管編成版は聞いたことがあるが、2管編成版は初めてだ。あの力強さがどれだけ出せるか聞きものだ。
で、結論を言うと技巧、集中力ともにまったく問題なしで、本日の白眉と言える演奏だった。(まあ当たり前と言えばそれまで)
特に子守歌における木管陣のデリカシーの細やかさは大変素晴らしく、これがあったため終曲の大音響が生きた形となった。
その終曲では最初危惧していた迫力は充分で、ゆっくりとながらクライマックスに向かってジリジリと盛り上がり、最後は身を乗り出さんばかりに音楽に引き込まれてしまった。
ショスタコーヴィッチと同様に要所でオケの力を解放しながら、そこだけが突出することのない指揮者の手腕は大変素晴らしいものだった。
また曲が終わる寸前で音をスタッカート気味に短く切る解釈があり、それがとても新鮮に聞こえた。(これを少し前でホルンに予告させる心憎い演出なんかがあった)
曲が終わると同時に「ブラボー」の声も掛かり、大きな拍手が湧き起こった。
総じて、センチュリーの底力を見た演奏会でした。
疑いよう無く、現在大阪No.1のプロオケはセンチュリーです。このまま健全に成長していって欲しいものです。(4管揃える必要もない)
さて、次の演奏会は次の日に行われた朝比奈&大阪フィルによるブルックナーの交響曲第8番です。2連チャン(実質的にはコバケンのも加えて3連チャン)はかなりきついものがありましたが行って参りました。よろしければそちらもどうぞ。