今年のテーマとして“Back to The B.”を揚げ色々なコンサートに足を運びました。その大きなヤマのひとつとして、“朝比奈隆の軌跡2000”のベートーベン選集がありました。この演奏会が終わると残すは年末の9番だけとなります。
またEXTONによる全集録音ですが、この演目についてはここだけしか取り上げておらず、話によると過去の公演からそれぞれ1曲ずつ引っぱり出してくるそうです。
それに今日はテレビ撮影がなく、ステージ上がすっきりとした感じを受けました。
ここ数回のコンサートで朝比奈の体調の低迷さが気になっていただけに、今回登場するときの顔色に注目していた。だから舞台下手に姿を見せたときに、その足取りと表情を見てホッと胸をなで下ろしたものだった。
しかしいざ演奏が始まるとギクリとさせられた。朝比奈が指揮棒を振れていないのだ。2階席の最前列からという一番角度のついた場所から見ているせいかもしれないが、指揮棒がベルトより下のあたりでゆらゆら揺れている印象しか得られなかった。この瞬間マジで「もう長くないな」と諦観した。
大フィルの方も最初、面食らったのかアンサンブルの精度が荒くなったが、しばらくするとペースを掴み、安定した音楽を聞かすようになった。
ただこれは指揮者がオケをシメて整えたのではない。朝比奈の棒は相変わらずゆらゆら揺れている。
この前の定期公演の時にも書いたが、ベートーベンを非常に重要なレパートリーにしている大フィルにとってベートーベンのシンフォニーなどは指揮者なしでも演奏できるのである。
この演奏会を支えていたのは大フィルの“おっさんのために頑張ろう”という心ひとつだったのではないだろうか。
今回の演奏で特に7番の出来について賞賛するひとが多かった。なるほど第1楽章の出だしのフォルテは立派だったし、スケルツォの大きさは良くできていた。
しかしその反面、第1楽章再現部での一瞬の陰をえぐる表現が薄かったことなど、オケを充分にドライブしていないと出来ない表現が希薄だった。朝比奈と大フィルによるベートーベンを聞いているのか大フィルだけによるベートーベンを聞いているのか判らなくなってしまった。
象徴的な出来事として終楽章コーダが挙げられる。この時、妙に弦セッションのトップがちらちらと顔を見合って、不思議だなと思っていたが、チェロが音量をガン! と上がるとそれを皮切りに全パートがボリュームを上げ、それから一気にクライマックスを形作った。ここには朝比奈の意志など全くなかった。
他の凡庸な指揮者の演奏に比べたら、今日の演奏もかけがえのない味を持っている。しかしこれよりもっと素晴らしいものが過去にあった。
指揮台に立ってるだけでオケの音が変わる、というのも指揮者の実力であるが、それでもここまで指揮者の意向が音楽に反映していない演奏は積極的に聞きたいとは思わない。こんな生命力(もしくは霊感)のない、ルーチンワークのような演奏では感動できない。
オケが解散した後はいつものようにスタンディングオベーションが起こったが、どうでも良いことだった。
演奏会を聞いてからこれを書き上げるまで結構時間が空いたので、その間Webを回って色々な批評を読みました。しかしその大半が大絶賛で、私のように不完全燃焼で終わったひとの意見がほとんど見受けられませんでした。
かと言って、面白くもなかった演奏会を「朝比奈芸術の完成形を見た!」とかの提灯レビューを書くつもりはありません。
これだけは私の誇りに賭けて言います。
「あの演奏会はダメでした」
92才になっても指揮台に上がる“珍獣”朝比奈隆を見に行くのではなく、朝比奈隆指揮の“ベートーベン”を聞きに行くです。これだけは間違えたくないと思います。
総じて、老い(=死)を強く感じてしまった演奏会でした。
……なんかものすごくヤバイこと書いてるような気がしますが、これがこの演奏会を聞いた時の正直な感想です。
幸いなことにこの次に聞いた大阪フィルハーモニー交響楽団の第342回定期演奏会では百戦錬磨の老獪さで元気に振り切っていてホッとしました。