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大阪フィルハーモニー交響楽団
「第9シンフォニーの夕べ」 in 2000

日時
2000年12月30日(土)午後7:00開演
場所
大阪フェスティバルホール
演奏
大阪フィルハーモニー交響楽団/大阪フィルハーモニー合唱団
独唱
菅英三子(S)、伊原直子(A)、福井敬(T)、多田羅迪夫(Bs)
指揮
朝比奈隆
曲目
ベートーベン…交響曲第9番 ニ長調《合唱》
座席
Rサイド1階K列2番(S席)

はじめに

 「第9シンフォニーの夕べ」は毎年29日と30日に行われますが、29日の分が朝比奈御大にとって250回目の第9になったんだそうです。例えばブルックナー8番の指揮回数が30回ほどのことを考えると、ひとつの曲を指揮した数字としてはものすごい記録になるのではないでしょうか。
 そしてこの年進められていたベートーベンチクルスの最終回として両日の演奏が収録されました。また29日の模様はBSにて放送されました。
 フェスティバルホールに足を踏み入れると、満場の聴客でかなりの熱気でした。舞台の上にはメインマイク2本と独唱の声を拾うマイクが立っていました。既に発売されたCDを聞いても判るようにEXTONはこのチクルスをすべて異なったサウンドポリシーで収録しています。色々実験してノウハウを蓄積しているのでしょう。今回はピンポイント録音のようです。

ベートーベン…交響曲第9番

 まず驚いたのは超スローテンポだ。「何言ってんだ、スローテンポは朝比奈のトレードマークじゃないか」と言われるかも知れないが、ここ最近の朝比奈の演奏はテンポが速く感じられるものが多かっただけに予想外だった。現に去年の第9は幾分速めのテンポで大成功を収めていた。それに比べると今日のテンポ設定はじりじりとするくらいじっくりと進められた。
 かと言って間延びした演奏ではなく、アクセントでは非常に短く音を切り、新鮮な印象を与えたことも驚いたことのひとつだ。
 構成上の特徴ではスケルツォが挙げられる。この楽章は(スケルツォ)−(トリオ)−(スケルツォ)となっているが、スケルツォは前半(S1)と後半(S2)とに分けられ、更にそれらには繰り返し記号がついているので楽譜通りに演奏すると、S1−S1−S2−S2−トリオ−S1−S1−S2−S2となる。前回の全集時にはこの通りにやっていたが、今日の演奏は、S1−S1−S2−S2−トリオ−S1−S2となっていた。去年はダ・カーポ後のS1だけは繰り返していたのだが、それよりも短くなってしまった形だ。もっとも他の指揮者は、S1−S1−S2−トリオ−S1−S2と演奏してしまうが。
 また第1楽章での展開部最後から再現部にかけての頂点の築き方など、並の指揮者だったらティンパニがトレモロで入った瞬間にその山を築いてしまうが、そうしてしまうとこの時はまだ第1主題は断片しか奏されていないため、ベートーベンが腐心した劇的な第1主題の再現が影薄くなってしまう。その点朝比奈は第1主題が完全に再現された時、ティンパニに強烈な一撃を叩かせることによってそこに頂点を持ってきていた。このあたりはさすがだと思う。

 この日の演奏の白眉は第3楽章だった。スローテンポの中じっくりと旋律を歌い込み、フレーズのひとつひとつがしみじみと心に沁み込んできた。安らぎを感じさせ、この時ばかりは時間が経つことさえも忘れさせてくれた。
 そして感動の波が最高潮に高められ、ホルンのソロへと聴客の全神経が集まった。……こけた。みごとにこけた。さあっと客席に笑いの波が伝播され、緊張感が途切れてしまった。オケの方にも影響があったようで、集中力を取り戻すのにしばらく苦労していたようだ。(CDが出た暁にはこのミスが消されているかチェックしましょう)
 このミスに代表されるように今日の大フィルはメチャクチャだった。現在大フィルのアンサンブルをリードしていると思っているチェロの覇気がない表情が気になっていたが、御大もチェロに何度も指示を出してはいたもの少しも好反応を見せてはこなかった。これほどアンサンブルが崩れた大フィルを聞くのは久しぶりだ。
 また御大の方も音楽的間をほとんどとらない、やや急いだ印象を与える指揮ぶりだった。

 声楽陣の方に移ると、まずコーラスが抜群の冴えを見せていた。女声・男声ほぼ同数で、しかも男声を挟むようにして置かれた女声の配置が理想的な音響を創り出していた。また技巧的にも不安になるようなことはなく、しっかりとした声量と発声に支えられて重心の低いがっしりとした歌唱を聞かせてくれた。2重フーガの両旋律をきっちり聞かせてくれるのはここの団体しかいない。非常に年季の入ったベテランの顔ぶれを見ても解るように、さすが歴史の重みが違うと言えよう。(ひとりで立てないあのお爺ちゃん、年々弱って行くけど、来年は大丈夫かな)
 一方独唱陣の方は、まずバリトンが高い音も低い音も出ないことにガッカリした。調子が悪ければ変わってもらえばいい。非常に残念だった。またテノールは技巧的にあまり感心した出来ではなかった。頑張ってるのは良く伝わったのだが。それに反してソプラノとアルトはしっかりとした歌唱を聞かせてくれていた。だから男声陣の不甲斐なさばかりが目立った格好となってしまった。

 最後にプレスティッシモからいったんテンポが落ち、“Freude,schoner Gotterfunken”(oはウムラウト付き)と歌うくだりでは思い切り大胆にテンポを落とし、非常に雄大な感じを出した。しかし最後のフレーズをいっぱいいっぱいに引き延ばしたため、その後の器楽だけによるプレスティッシモのコーダと全然かみ合わず、取り敢えず突進して終わった感を与えたのも残念だった。フルヴェンの演奏みたいだ。
 しかしこれも新しい解釈と言える新機軸で、たまたま今回は上手く行かなかったが、92才になっても全然守りに入っていない攻めの姿勢には頭が下がる思いだ。

おわりに

 最後のプレスティッシモが弾け飛ぶと、ぶわっと拍手が湧き起こりました。ブラボーの声も飛び、席から立ち上がって拍手を送る人もいました。
 大フィルの人がイスを動かして場所を作ると、独唱陣と合唱指揮者を交えてカーテンコールが行われます。
 御大が舞台裾のカーテンからでなく、下手の潜り戸からひょこっと現れた時、会場から微笑みがこぼれました。(なんででしょ? 別に珍しくないのですが。御大の演奏をあまり聞きに行かない人が多かったのでしょうか)
 オケが解散しても鳴り止まない拍手に応えるため、御大がひとりででステージに現れました。一段と大きくなる拍手。花束を渡そうとして係員に注意を受けるひと。たくさんの人がたったひとりの男に賞賛を送り続けました。その拍手に御大は客席の端から端まで視線を走らせて応えていました。この時御大と目が合うと、もうそれだけで感激してしまいます。お客さん第一の素晴らしい姿勢だと思います。時々オケのメンバーと握手して廻ってろくすっぽ客席の方を向かない指揮者がいますが、そんな指揮者とは雲泥の差ですね。こういう姿勢は音そのものにも必ず出てきます。

 総じて、攻めの気持ちを忘れないひとだなと感じた演奏会でした。

蛍の光

 御大がゆっくりと舞台から引き上げると照明が落ち、イスが片付けられてピットが降ろされると、暗闇のままペンライトの明かりだけで恒例の蛍の光が歌われました。
 スモークが焚かれ、紙吹雪がはらはらと舞います。そして3番のハミングの中、順にペンライトが消されると緞帳が降ろされ、20世紀のクラシックも幕が閉じられました。
 来世紀は我々にとってどんな時代になるのでしょうか?
 よいお年を。


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