前回の定期公演で定期会員に入会して、今回がその第1回目でした。座席が予想以上に良いところで、座ってみてビックリしてしまったほどでした。ただ周りを見渡すと“常連”と言う名のこまったちゃん予備軍がいっぱいいるように見えて若干の不安もありましたが、まあ余り気にしないようにすることとしました。
出だしのホルンがふらついたのを除いて取り分け問題のない滑り出し。6声の旋律が絡み合う(しかもその旋律は各楽器で受け渡し合う)というアンサンブルの難しい曲。加えてお互いの楽器の音が良く聞こえるとは言い難いフェスティバルホールでは探り合うような演奏になっても致し方ないだろう。また曲自体が穏やかで大きな音を出すところがないものだけに、このホールではいささか不利だったようだ。
個人的にはしみじみとしてそこそこ良かったと思ったが、会場の反応は冷たく、演奏中もややざわめいた集中力のないものだった。
竹澤をソリストに迎えてのベルクだが、入魂の演奏だったと言っても過言ではないものだった。12音音楽に基づきながらも叙情味を出さなくてはならないこの難曲に、竹澤はみごとに応えていた。特に第1楽章が素晴らしく、この曲が音列(セリー)によって作曲されていることを忘れるくらいに歌心溢れる演奏をした。それでいながらこの曲が一種のレクイエムとして作られたことも充分に加味した鋭い切れ込みもあり、誠に素晴らしかった。なかなか聞けるものではないものだと思った。
冒頭から遅いテンポで進められたが、なぜか響きが空虚で密度の薄い感がした。だからベートーベン特有のオルガンのような全楽器が渾然一体となった響きを味わうことができなかった。
しかし終楽章だけは別で、曲にみなぎる力感が素晴らしく主題提示部がリピートされたときのファンファーレなど凄まじかった。
だがこれは若杉の功績なのだろうか? 私には大フィルが「このままじゃヤバイ」と自主的に突っ走ったのではないだろうかと思っている。なぜかというと第3楽章と第4楽章との間で指揮者のタクトが豹変したという印象を受けなかったこと。終楽章の姿が指揮者にとって表現したい姿であったのならば、最初からあの力感を持った演奏が可能であったはずだ。
大フィルがサボったというラインがあるじゃないか、という意見もあるだろうが、大フィルにとって「運命」などは指揮者なしでもできる程にこなされたレパートリーなのだから、指揮者がどんな棒を振ろうと自分たちの音楽を充分表現できる自信があるはずだ。だから大フィルの気質を鑑みても、しらけきっていたから手を抜いたとは考えにくい。やはり指揮者に問題があったのだろう。
なにはともあれ最後は大きく盛り上がり、曲が終わると客席からは盛大な拍手が送られた。
総じて、なんだか枯れた演奏会でした。
次の演奏会は関西フィルと園田高弘による「皇帝」です。関フィルの演奏会が今回初めてと言うことで胸を期待で膨らましてコンサートに臨みました。お楽しみに。