このシリーズももう8年間続けて聴いています。また今年は兵庫芸術文化センター管弦楽団の第九も聴いていますので、佐渡さんの第九を実演で聴くのはこれが9回目となります。ひとつの指揮者とオケで同じ曲目を聴き続けているのはこのコンビぐらいしかなく(朝比奈&大阪フィルは3回しか聴けなかった)、佐渡裕と言う指揮者を推し量るマイルストーンとしてこれほど最適なものはないと思います。
そんな訳で、大きな期待を胸に秘めつつ、名古屋から帰郷のついでに福島に立ち寄っての鑑賞となりました。
今年3つの第九演奏会を聴きましたが、この演奏が一番堂々とした貫禄を持っていたと思います。
第1楽章ではゆったりとしたインテンポで、叙事詩的な雄大さを出そうとしていて、それが第2楽章の鋭いリズムとはっきりとしたコンストラクトを生んでいましたし、第3楽章はますます暖か味を増しており、終楽章も激性に傾くことなく音楽にふくらみがあり、かつ交響曲のフィナーレとして全体の造形にはまったものでした。
大きな特徴は過去の批評を読んで頂くと解るので割愛しますが、今年の演奏で気が付いたことは全体的に音のつながりが滑らかになっていた(テヌート気味につなげていく)ことが上げられます。それが最大限に生かされたのは第3楽章だと言えますが、第2楽章でも上がって下りるような音形では意外なほどの穏やかさが出ていましたし、第4楽章も従来の佐渡像からは想像のできない大らかさが出ていたと思います。
合唱の方は今年聴いた3団体中で最も安定感があり、何にも不満に思うことはありませんでした。ただやや女声の数が多いのか高音寄りのバランスだったことが言えるくらいでした。
独唱の方はついては4人のバランスが良く、突出した感じのあるパートはありませんでした。
そしてオケの方も安定感は良く、指揮者のしたいことを充分理解しているいるのか、細かい指示は出さずともわずかな指示を出すだけで、どんどん音化していく感じでした。ただ昔は感じた結晶化するようなアンサンブルの凝縮力は若干薄れたのかなと思いました。
(倍管のオーケストラで佐渡さんの第九を一度聴いてみたいと、ふと思いました。)
演奏が終わると暖かい拍手が会場を満たし、合唱団の皆さんが退場するまで、拍手は続けられました。
「○○先生ー!」
という黄色い声援も飛ぶ、和やかな演奏会でした。
最早佐渡さんは激情に任せて音楽を盛り上げて行く手法を卒業し、自らの音楽を熟成させる方向に進みだしたと言えます。
ただ大阪だけで都合7回の第九演奏会を開いたせいかも知れませんが、ややマンネリを感じさせる局面が無きにしも非ずでした。なにも小手先の目くらましで驚かせろ、と言う意味ではなく、上でも述べたように色々と細かい所での進歩の跡があることは解るのですが、それが全体の印象につながってこず、「去年と同じだな」と感じてしまうのです。
まだまだ40才台なので、変に熟成しようとせず、色々な方向性を探っても良いような気がします。(50台で老成の域に入っても仕方がない、バーンスタインみたいに死ぬまで暴れまくって欲しいと個人的には思います)
総じて、もう一段上の進歩を見せて欲しいと思う演奏会でした。
さて次回は尾高さん&大阪フィルによるフェスティバルホールの第九です。2005年の締めくくりとなる演奏会ですので、気合を入れて行って来ました。