玄 関 口 【小説の部屋】 【交響曲の部屋】 【CD菜園s】 【コンサート道中膝栗毛】 【MIDIデータ倉庫】

朝比奈隆の軌跡2001
ブルックナー交響曲第9番

日時
2001年9月24日(月・休)午後3:00開演
場所
ザ・シンフォニーホール
演奏
大阪フィルハーモニー交響楽団
指揮
朝比奈隆
曲目
1.ブルックナー…交響曲第9番 ニ短調(ハース版)
座席
1階H列7番(A席)

はじめに

 ブルックナーの9番と言うと去年日本中を騒がせたヴァント&NDRのものが忘れられません。あのとき会場中を満たした儀式に臨むような荘厳な空気は今もなお身体の裡に残っています。さて今日はそのヴァントに匹敵するブルックナーを聞かせてくれる朝比奈隆のブル9ですが、御大はどんな9番を聞かせてくれるのでしょうか?

 ブルックナーが残した11曲の交響曲の内、作曲家の昇天により第3楽章のアダージョで終わることとなった第9番のシンフォニーですが、この余りにも素晴らしい緩徐楽章を指して、
「このアダージョのあとどんな音楽が必要なのか?」
 と言うひとがいます。しかしブルックナーは臨終の間際までフィナーレの作曲を続けていたのはまぎれもない事実ですから、この交響曲は全4楽章を揃えることで初めてバランスの取れた曲となるのは間違いありません。
 実際この曲を聞いた時、心の中にはなにかすっきりとしないものが澱のように残り、永遠に解決されないものがいつまでも胸の裡に尾を引いてしまいます。この独特の後味がそのまま演奏の難しさにつながっているのでしょうか、CDを聴いていても満足できるものはほとんどありません。
 ですから今日のような第3楽章までの演奏とは違って全4楽章が揃う10月5日いずみホールでのサマーレ、フィリップス、コールス&マッツーカ校訂版の演奏も非常に興味深いイベントだと言えます。

 少し前に朝比奈会から、「大フィルの倉庫を整理していたら朝比奈先生の『楽は堂に満ちて』が数冊出てきた、とのことで譲っていただきました。実費で良ければ抽選で譲ります」とハガキをいただきました。当然申し込みましたよ、ハイ。当時は絶版だったんです。まあ抽選にはみごと外れて枕を涙で濡らしましたが。
 それが今日、ホールに到着すると「復刻!」とこの本が平積みになってました。―――嗚呼無情。抽選外れて良かったなんて久しぶりに思いましたよ。
 その場で買ったことは言うまでもありません。

 舞台上にはテレビカメラが立ち並び、スタッフが最終打ち合わせを行っていました。
 今日の模様はいつものようにABCが収録し、衛星で放映されるそうです。(詳細不明)
 やがて大フィルのメンバーがステージに集合します。4日前の定期ではコンサートマスターはルイージだったのですが、今日はマリオが担当するようです。
 なお今日は朝比奈&大フィルによる95年録音のCDとヴァント&NDRによる00年録音のCDとの比較が多くなりますが、どうかご寛容ください。

ブルックナー…交響曲第9番

 万雷の拍手によって迎えられた御大でしたが、心なしか足下が頼りなく、指揮台に上がる足取りを見ていると危なっかしく感じました。今年の夏は特に厳しいものでしたから、ご老体の健康が少し気に掛かりました。
 しかし音楽が始められると音楽自体には衰えは感じられず、きっちりと刻まれた彫りの深いトレモロからブルックナーの世界が広がっていきました。
 第1楽章の特徴はジリジリとしてなかなか前へ進んでいかないスローテンポでした。95年の録音よりさらに遅いように感じました。
 第1主題提示部の最後にあるリタルダントを掛けたくなる箇所でのブレーキの踏み具合は95年の録音よりずっと上手くいっていました。(ヴァントはインテンポ)
 第2主題の弦による幅広く美しい響きは全パートがしっかり鳴りきったもので、弦セッションの好調さを感じさせました。また今日はなぜか低音楽器(ティンパニ、チューバ、コントラバス)がはらわたに沁み、これらの楽器が鳴り響くと体がビリビリビリと震えるほど充実していました。(録音には入らないだろうなあ)
 第3主題以降は前出のように遅々としたテンポ運びとなり、第1主題の展開部冒頭で一瞬速くなりましたが、その他は重量級の音楽が展開されていきました。
 その分抑圧されたパワーが炸裂するコーダでの迫力は聞いていて身震いするほどの緊迫感があり、第1楽章が終わっても息を呑んだままでした。

 一旦音合わせを行ってから始められた第2楽章は95年のCDに比べると少し速めのテンポが採られました。(ヴァントよりは遅め) それよりも表情の細かい強弱の付け方が徹底していて、前回よりは遙かに含蓄のある演奏だと思いました。
 やはり冒頭の音型を弦はきっちり下げ弓の連続で弾いているところは楽譜通りのやり方でした。ヴァントの時もそうでしたが、アインザッツを揃えるためコンマスは大変みたいですね。今日もコンマスがすごいアクションでオケを引っ張ってました。
 スケルツォをダカーポした際、ティンパニソロへの指示を完全に見落として、逆にティンパニが「トトトントントントン」と叩き出したのを聞き、慌てふためく御大の姿が見れました。まあN響の時の楽章が終わっているのにトリオを振ろうとしていた事件に比べたら可愛いものです。
 今日の大フィルは楽譜通りで補強なしの編成(ホルンに1本補強?)でしたが、迫力の点ではNDRに一歩譲る格好となりました。NDRはトランペットを1本補強していましたが、ほぼ同じ規模と見て良いでしょう。しかしオケのアンサンブルや表現力では決して大フィルもNDRに劣るものではないと思います。(ミスをしないという尺度で見れば、両方とも大したものではない)

 終楽章のアダージョですが、これもじっくりと進められていきます。やや素っ気ないような感じも受けましたが、第1主題提示部最後の宇宙が鳴り響くようなフォルテッシモなど充分に力強いものでした。(贅沢を言えばここは立体的な音の響きが欲しい) またしみじみとした第2主題は哀愁に満ちた表現でした。
 アンサンブルのあわせにくい所ではコンマスが大きなゼスチャーでリードを取ってましたが、今までは無惨にもコンマスだけが飛び出している印象を受けていました。しかし今日は第2プルト以下がピッタリと食らい付いていて、いつも以上に一体感を感じさせた弦パートでした。
 またワグナーチューバにとって難所である第2主題提示部の最後にある4重唱も若干ピリついたもの充分にその重責をこなしていたと思います。(NDRはここで思いっきり音をはずしてヴァントが怒っていた)
 そしてコーダがやってきました。95年のCDではインテンポを保ち、やりきれない哀しみがどんどん募っていき、00年のヴァントでは大きくテンポが落ち、寂しさが漂う中安らぎがゆっくりと心に満ちていく演奏でしたが、今日の朝比奈翁は気付かれないようにツツとテンポを上げ、暖かみのある安らぎに包まれるようなものでした。(個人的には今日のような終わり方が一番好きです)
 最後、弦の音が強すぎたのか、御大はしつこく「もっと小さく」と指示していましたが、最後の持続音をホルンもバッチリきめて、安らぎに満ちた響きのなかピチカートが3つ刻まれました。(贅沢を言えば、ホルンに立体的な音の響きがあれば奇跡が起こったのになあ)

そして静寂

 ホルンが消えるように静まると、しばしの静寂。そして御大がすうと腕を降ろすとワッとはじけるように拍手が湧き起こりました。……良かった。もしフライングブラボーかますヤツがいたら暴れてやろうかと思っていただけにこの静寂は心よりブルックナーの余韻を味わえる一瞬でした。(そりゃ本音を言えばヴァントのコンサートみたいにもっともっと味わいたかったですよ。 それにしてもこの静寂を腕時計で計っている人がいたのには笑いました。なにしに来てんだ?)
 万雷の拍手の中、2階席からは男声ブラボー合唱隊による一斉祝砲が放たれます。舞台袖に引き上げた後に再び現れてくれた御大はいつものようにワグナーチューバの4人を立たせ、楽器を掲げさせます。
 結局答礼1回で解散となり、今日もまた御大ひとりをステージに呼びだしてのカーテンコールとなりました。
 それにしてもこの時、テレビカメラが御大の顔を舐めるように接写してたのには苦笑いを浮かべてしまいました。しかし御大もカメラを意識してか、いつも杖代わりにしている椅子の背もたれをクルリと回転させて、体が客席に対して正面を向くよう調整していました。
 やがてやや足取り重く(今日は非常にお疲れモードのようでした)御大が舞台袖に引き上げると『朝比奈隆の軌跡2001』もその幕を降ろしました。

おわりに

 前回95年の演奏と比べると、確かに音楽の厳しさについては後退していたと言わざるを得ません。しかし弦に代表されるこのコンビ特有の美しい響きと緩急柔軟なフレージングとが大きなスケール感をなんとか保ちながら、以前にはなかった優しく包容力ある音楽を聞かせてくれるようになったのではないでしょうか。このことは朝比奈音楽の次なる境地への歩みだと思っているのですがどうでしょう?
 それにしても大フィルのアンサンブルそんなにガタガタでしたか? 私は決してそうは思いませんでしたけど……。まあベルリンやシカゴじゃないんだから、ガチガチのアインザッツを求めるのもどうかと思いますよ。(角を矯(た)めて牛を殺すことのないように)

 総じて、寂しさと安らぎがないまぜになった演奏会でした。

 さて次回はセゲルスタム&ヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団によるシベリウスの交響曲2&7番です。北欧風味満点ながらスケール極大のセゲルスタムのシベリウス、非常に楽しみにしております。


コンサート道中膝栗毛の目次に戻る