この日は生憎の雨ですっきりとしない天気でした。客席を見てもちらほら空席が目につきます。客席まで湿っぽくなってどうすんだ。
開演時間が来て、オケ、合唱に続きソリスト達と一緒に現れたコルボさんはパンフレットの写真よりも大分老けて見えました。また右膝を悪くしているようでお辞儀するときも膝を少し曲げ、伸ばすことが出来ないようでした。それでも客席に向かって深々と頭を下げる様子は、誠実な人柄を感じさせるものでした。
バッハはキリスト教徒ですが、その中でもルターが拓いたプロテスタントと呼ばれる宗派(改革派)に属しています。(余談ですが、プロテスタント発祥の地ドイツではプロテスタントの比率が多く、他の地域では多数派を占めるカソリックがここでは逆に少数派になってしまうのです。……でロマン派の作曲家でひとりいましたね、敬虔なカソリック教徒が。彼がいじめられたのはそういう理由もあると思います)
ここで注意して欲しいのはプロテスタントには“礼拝”はしても“ミサ”などしないことです。極端に言うとバッハは異教の音楽を作ったのです。この時バッハは改革派にとって重要な教会の要職であったのですが、それでも作らずにはいられなかった彼の心境はどのようなものであったのでしょう。
この曲の演奏時間は2時間にも及びますが、受難曲のように異常なほど緊張感に溢れた劇的なものではなく、非常に静的で穏やかな曲調で懐の大きな音楽といえること出来ます。
なお今日の演奏会は休憩なしのノンストップでした。
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まず特筆するべきことは合唱の素晴らしさだ。全体的に線が細いもの、清楚で繊細な声色は非常に心地よく、個々のテクニックが文句なしなのも合わせ、安心して音楽に身を浸らせることが出来た。
4人のソリストも同様に非常にレベルの高いものを聞かせ、ソプラノの声の美しさ、バスの重心が低いながらキリと締まった声など素晴らしいものだった。
この曲ではアリアになると必ず独奏楽器がソリストに絡むが、オケで独奏を担当した人も華麗にそれをこなしていた。
ロ短調という暗い調で始められたこのミサ曲もやがてニ長調の輝かしい調へと転じて、第3部のサンクトゥスから大きく音楽が動き出し、その最も深遠な部分を展開していった。
終曲の「ドナ・ノビス・パチェム」が静かに(と言っても音量はそれなりに大きかった。しかし受けた印象は確かに静寂だった)歌われると、ふわっと優しくこの連続2時間にも及ぶミサ曲の幕が降ろされた。
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演奏が終わるとすぐに拍手が起こった。私は穏やかな気持ちで心がいっぱいになり、すぐには拍手をする気にはなれなかった。できたらもう少し静かな余韻を味わいたかった。
また拍手の方も一気にワッと起こるのではなく段々と熱くなっていくものでした。そのうち「ブラボー!」の声が掛かり、何度もソリストと指揮者が呼び出されるものとなりました。これはコーラスが退場するまで続きました。
ホールを出ると雨はまだ降っていて肌寒かったですが、暖かい気持ちで家路に就くことが出来ました。
総じて、静かな感動に包まれた演奏会でした。
バッハは難しいと言うひとがいますが、そんなに身構えることはないと思います。
「考えるな。感じるんだ」 byブルース・リー
ということで、まず気楽に聞いてみましょう。
今年は“Back to The B.”と銘打ってバッハのコンサートに3回足を運びましたが、どれもすばらしいものばかりでとても満足しました。やはりバッハはすばらしい。
さて来月は狂ったように演奏会へ行く月ですが、仕事も狂ったように立て込んでいて行けるかどうか判りません。でも朝比奈&N響とヴァント&NDRの東京公演は這ってでも行きたいと思います。