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佐渡裕/20世紀の交響楽展
シベリウス 交響曲第2番他

日時
2000年6月28日(水)午後7:00開演
場所
ザ・シンフォニーホール
演奏
大阪フィルハーモニー交響楽団
指揮
佐渡裕
曲目
1.シベリウス…交響曲第2番 ニ長調
2.R.シュトラウス…二重コンチェルティーノ(クラリネットとファゴットによる)
3.レスピーギ…交響詩「ローマの松」
座席
2階CC列25番(A席)

はじめに

 それにしても、くっそ暑い日が続きますね。特に今は梅雨の中休みのためか湿度が異様に高くて息苦しいほどです。
 おまけに三宅島では噴火が始まって暑苦しさに拍車が掛かってしまいました。ただ大爆発ではなかったことが不幸中の幸いだったのではなかったのでしょうか?
 そこでこんな暑い日は北欧音楽を聞いて気持ちだけでも涼しくなりましょう。シベリウス、アルヴェーンなんかがお薦めです。

シベリウス…交響曲第2番 の前に

 シベリウスの交響曲が取っつきの悪いものだと思われている大きな原因は構造のブロック化にあると思います。
 彼の音楽はクラシック好きな我々の耳に馴染んでいるドイツ・ロマン派の音楽とは、旋律から旋律への継ぎ方に対しての考え方が非常に異なっています。
 例えばブラームスなどを聞いていると、第1主題から第2主題へと移っていく過程(ブリッジ)にも魅力的な旋律を用いて両主題に劣らない存在感を示していますが、これは当時あたり前の作曲技法で、主題間がブツ切れている感じを与えるのは作曲家として失格と言え、いかに次の主題へ滑らかに移行するか作曲家は苦心しました。
 そんな常識を無視した(というより知らなかった?)のがブルックナーで、彼は各主題の提示と確保をひとつのブロックと捉え、それを並列的に並べ・積み重ねていくことで曲を構成したのでした。
 こんな作曲方法がすぐに受け入れられるはずがなく、周囲の無理解にブルックナーは苦しんだそうですが、その結果ブロック構造を採りながら滑らかに曲想が連続するという偉業を晩年成し遂げるのです。

 で、そのブルックナーの5番(弟子による改訂版)を聞いて涙を流したエピソードを持つシベリウスは自分の作曲スタイルを凝縮して行くに連れて余剰で甘ったるいブリッジを捨て、その結果として音構造のブロック化が顕著になっていったのです。
 これは大衆の耳に馴染んでいるドイツ・ロマン派の音楽との決別を意味し、さらに主題間の結合を追求するあまり単一主題によって曲を作るようになったので、さらにその傾向は強くなってしまいました。
 以上のような理由のため、シベリウスの音楽は一見取っつきが悪いのです。しかしそれを乗り越えると素晴らしい世界が広がっているのは言うまでもありません。

 え〜、シベリウスの交響曲について長々と書いてしまったのは、この彼独特のブロック構造を把握して、ブロック(モティーフといってもいい)同志の連結を理屈ではない感覚的直感によって滑らかに継いでいく演奏をしなければシベリウスの持つ魅力をスポイルしてしまうからです。
 ただ2番だけがやたらと演奏会で取り上げられるのは、この曲の終楽章がまだロマン派の影を色濃く残しているためで、今までブロック状に並べられていた主題が次々と重なって描かれる大きなクライマックスが非常に解りやすいためです。

シベリウス…交響曲第2番 ニ長調

 それでは本題である今日の演奏に移るが、このシベリウスにおいて重要であるモティーフの積み重ねが完全には整理されておらず、特にブロック構造が顕著になる中間の2楽章では魅力の乏しい退屈な演奏となってしまった。
 しかし終楽章だけは別で、第1楽章冒頭のさざ波のような音型から次々と今までの主題の断片が浮かび上がってくるコーダが素晴らしく、オケの方も俄然力がこもって大きく盛り上がった。コントラバスによる渾身の演奏が特に印象深かった。
 終楽章コーダに限った話だが、主題群が重なり合っていく様がはっきりと聞き取れたことは特筆することだ。こんな聞き方を佐渡がさせてくれるとは思いもよらず、勢いだけの指揮者から脱皮しつつあるのが好ましく感じた。(と、この時は思ったのだが、今となってはどのパートもパランス関係なしに思いっきり強奏させただけの演奏に偶然意味が付いただけのような気がする)

R.シュトラウス…二重コンチェルティーノ(クラリネットとファゴットによる)

 休憩後はぎゅっとオケの編成を絞って(ハープとプルトを減らした弦楽5部だけで)後半が始められた。が、その前にこの曲があまり演奏されない珍しいものだからと言うことで佐渡がマイクを持って簡単な解説をした。
 この曲は佐渡が作曲者自身による解説を直接聞いた人から又聞きした話によると、アンデルセンの童話を元にしていて、「お姫様(クラリネット)と森のくまさん(ファゴット)が出会い、初めは怖がられる(姫が「あれ〜っ」と悲鳴を上げたりする)が話しているうちに二人の仲は良くなっていった。実はそのくま王子様で、魔法が解けた彼はお姫様に結婚を申し込みんだ。それをお姫様も受けて、二人は幸せになりました」という筋書きを表しているそうだ。

 で、曲を実際に聞いてみると爺さんが孫に聞かせるような穏やかなもので、バックを務める弦楽器の数を細かくコントロールしたオーケストレーションが多彩な情景を生み出していた。その中を2つのソロ楽器が楽しそうに歩いていく。
 ソロを担当した2人は実に楽しそうに(とは言っても結構技巧的なパッセージがあった)演奏をし、何か語り合っているような雰囲気を出そうとしていた。
 しかしバックがやや自己主張をしすぎていて、ソロをかき消してしまいかねない場面があり、コンチェルトにおけるオケの役割を理解しているのか疑問に思う瞬間があった。
 またR・シュトラウス独特の魔法のような色彩感に乏しく味の薄い音色だっただけになおさらだった。
 確かにクライマックスでは見事な山場を築き見事であったが、それに内容が伴っていないのがいただけない。

 この曲を聞いていて「おや?」と思ったことに、結婚式の情景にワルツが演奏される場面で、このワルツにベートーベンの交響曲第7番第1楽章のリズム主題(タッタタ、タッタタ)がそっくりそのまま利用されていることだ。しかも執拗に繰り返されていて、ただのパロディではないような気がした。何か隠されたメッセージでもあるのだろうか。
 妙な勘ぐりか?

レスピーギ…交響詩「ローマの松」

 ドッペル・コンチェルティーノが終わるとものすごい数の奏者がぞろぞろとステージ上に上がってきた。まるで落としたアイスクリームに群がる蟻を見ている気がした。
 ここまで「帳尻合わせの大団円」を聞かされてくるといい加減うんざりしきて、「帰ろうかな」という想いが頭をかすめたが、「いやいや佐渡も大フィルもローマの松だけはやってくれるだろう」と思い直して、演奏を待った。

 実際演奏が始まると、それは良い意味で裏切られた。曲の冒頭から目の覚めるような鮮やかな鳴りっぷりにビックリ仰天させられた。
 第1音から意志の力を漲らせ、骨太でいながら凛とした音色は今までの演奏が嘘のように感じられた。(最初からこのテンションでやれよ)
 第1曲ラストのアッチェレランド(急加速)はやりすぎだが、その疾走感はなかなかのものだった。
 またこの演奏で特筆しておきたいことは各ソロの見事さだ。その中でもクラリネットとオーボエが大変素晴らしく、心が洗われる思いがしたほどだ。終演後彼らが起立したときは一際大きな拍手が湧き起こっていた。伊達に緑の頭はしてないぜ。
 今日最高の演奏は間違いなく第4曲で、曲中に力感が漲り、生き生きと躍動する音楽が素晴らしい。
 曲が終盤に近づくと、佐渡はガバッと股を開き、指揮台上で大の字になる。見た目にも「おっ、ここからクライマックスだな」と分かりやすい合図を受けて、音楽の生命力が爆発的に高まって目も眩むほどの昂揚感が会場を包み込んだ。私など立ち上がって踊りたくなるのを必死で堪えたくらいだ。

 曲が終わるとワッと拍手が起こり「ブラボー!」の声も飛んだ。間違いなくブラボー級だ。なんども指揮者がステージに呼び出され、観客の熱い拍手がいつまでも続いた。
 アンコールは掛からず、そのうちオケが解散し演奏会の幕は降りたが、非常に満足した気分で会場を後にすることができた。

 話は少し逸れるが、演奏中にこんな光景を見かけた。「ローマの松」では第4曲で遠隔オーケストラが活躍するが、今日の演奏ではホール最奥であるオルガンの横にずらっと金管が並んでいた。ということは舞台奥に席に座っている人は金管の直撃を背後から受けるわけで、女性客の一人がトロンボーンの音圧があまりにも強いためか途中耳を塞いで聞いていたのが傍目で見ていて楽しかった。(本人はシャレになってなかったかもしれないが)

おわりに

 シベリウスとR・シュトラウス共に最大瞬間風速では見事な部分がありましたが、ちょっと不甲斐ない演奏に入るでしょう。その点は残念でしたが、最後のレスピーギだけは格別で実に爽快な演奏でした。ユタカにはこのような曲が今は合うのでしょう。今度彼の演奏で生のボレロが聞きたいと思った。(マーラーに手を出すのはまーだ早いと思うぞ)
 それにしてもシベリウスとレスピーギをやっている時、指揮者の譜面台に乗っていた楽譜、あれポケットスコアだよな……。

 総じて、まさに大爆発と言える演奏会でした。

 さて次回は朝比奈御大によるベートーベンの1番と3番です。御大にもっとも合うであろう3番が非常に楽しみな演奏会です。
 次の日のアンサンブルSAKURAと合わせてエロイカ三昧の週末になる予定です。


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