あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。と言うことで今年一発目のコンサートに行ってきました。
この日は仕事も5時で切り上げ、そそくさとフェスティバルホールに足を運びました。着くとホールの入り口には紅白の幕が張られ、樽酒が積まれ鏡割りがされていました。また迎春と書かれた書き初めと共に門松が飾られ新年気分がそこかしこと漂っています。
客席に着くと辺りを見渡しました。客の入りが大体8割ほどです。主催者側によると9割方のチケットがさばけないと赤字になるそうです。そうなると来年の名曲コンサートは絶望だそうです。こんな良い催しがなくなるのは忍びません。普段行かない方も一度行って見ませんか? 4回で6500円です。3月頃に存続するかどうかが決まるそうです。
今回初めてフェスティバルホールの二階席に座りましたが、暑い。会場の熱気が溜まってもあっとしてました。またステージとの距離感が強く、音も遠くに感じ、響きもあっさりとしてました。まあそれでも一階席の一番後ろに比べたら幾分マシかと思います。
そうこうしている内に開演時間がやってきました。
チャイコフスキーの協奏曲というとコード弾きでジャカジャカ鳴らすイメージがあるが、今回の演奏ではその部分にダイナミックさもなければ繊細さもなかった。座った席の関係でピアノの音が反響板に当たらず直接耳に届いていたせいかもしれないが、なにか汚く濁った音のように感じた。また速いパッセージでは指が動いておらず、弾ききっていない印象を与えた。もうちょっと練習してこい。
しかし旋律を歌い込む第2楽章のゆっくりとした部分だけは非常に魅力的に旋律を歌い、とても好感を持てた。それだけになおさら残念に思う。
また終楽章ではかなりの集中力を見せ、演奏は結構盛り上がっていた。(それでもテクニック的にはナニだったけど)
休憩後に演奏されたこの曲はチャイコらしくないド派手な曲で個人的にはあまり好きではないものだが、享楽的な楽しみがどれだけ味わえるかが重要な曲だ。
で、結論から言うと大変楽しめた演奏だった。クライマックスで大太鼓叩きまくりのフランス国歌をぶっこわしてさらに大音響で奏でられるロシア国歌が異常な盛り上がりを見せ、最後ロシア国歌がテンポをグッと落とし朗々と歌われた後、一気にアッチェレランドがかかり胸がすくような高揚感が会場を包み込んだ。
曲が終わると盛大な拍手と歓声が上がり、指揮者が何度もステージに呼び出された。
去年の5月22日に大阪マルビルのタワーレコードでコバケンさんのサイン会が開かれました。ポニーキャニオンが主催で、チェコフィルとのマーラー1番のCD発売を記念してのものでした。偶然居合わせた私がCDを買って列に並んだのは言うまでもありません。コバケンが2m先にいるよ(わ〜い)。
ポニーキャニオンの人が司会進行役をし、レコーディングの話や質問コーナーなどやっていました。
質問の中にはオーケストラアンサンブル金沢の人が「ぜひウチのオケも振って下さい」というラブコールや、音大生の「どうしたら上手く弾けるようになりますか」というものがありました。これには「オファーはすでにあり、私も振ってみたいが、日程が合わない」 「とにかく歌うように楽器を演奏する」と答えてました。ここでポニーキャニオンの人がマエストロは歌がとても上手で、レコーディングの最中にコバケンさんが歌った歌をこっそり録音していて、なんかの特典に付けてみようと企んでいることが披露されました。
またチェコフィルを初めて振ったときシベリウスの2番が演奏されましたが、この時オケの目線がどうも二階のバルコニー席に行くのでどうしてかなと思っていたら、指揮者を引退し病身であったノイマンさんが杖を突きながらドヴォルザークホールに来ていたそうです。
ノイマンさんはバルコニー席の端っこで欄干に両肘をついて頬杖をして聞いていました。この時のチェコフィルの演奏がノイマンさんに捧げるかのように魂のこもったものだったそうです。そして終楽章になるとノイマンさんが頬杖を突いたまま大粒の涙を流していたそうです。ノイマンさんが亡くなる直前の話です。
これを見てこんな素晴らしい関係を結べたオケと指揮者は幸せだろうなと思ったそうです。
最後の話題として、今作ろうとしている曲があると発表されました。来年(2000年)は日蘭国交400年だからイベントをしようと言うことで、オランダのアムステルダム・コンセルトヘボウから(だったっけ?)委嘱を受けたそうです。
どうしてコバケンに白羽の矢が立ったかというと、コンセルトヘボウに一番多く出演した日本人が彼だったからです。で、最初は指揮するだけでしたが、「お前、作曲も勉強したのか、それなら一曲書いてくれや」と頼まれたんだそうです。
まだ1小節も書いてない(初演は10月2日って決まっていたのに)けど、イメージは何となく固まってきたと言っていました。
そのイメージとは“霧に煙る海の向こうからオランダの船がだんだん近付いてくる様子”だと「上手く言葉で言えない」と言いつつ説明してくれました。
コバケンさんにサインを書いてもらったマーラーのCD、今も大切に保管してます。
本題に戻ります。
さすがマーラーに心酔しているコバケンらしく、ステージ上には打楽器が所狭しと並んでいた。この曲の編成を判った範囲で書くと、弦楽5部の2管編成、それにバスクラ、イングリッシュホルンが加わり、金管はホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1。打楽器はティンパニ、大中小の太鼓、ドラ、シンバル(2枚打ち合わせるのとバチ打ちの2種)、チューブベル、鉄琴、木琴、マリンバ、タンバリン、トライアングル、鈴、祭囃子の鐘。鍵盤楽器として、ピアノ、チェレスタ、ハープ、オルガン。で、「はっ!」というかけ声。
それでも打楽器奏者がティンパニを入れて5人、鍵盤楽器奏者は3人だから、これらの楽器が一斉にかき鳴らされるのでもないようだ。
曲が演奏される前に作曲者の言葉があった。長くなるんで別項として下に書いた。
演奏時間としては約30分前後で、2つの主題が9回変奏されるパッサカリア形式の曲だ。この2つの主題は別々に扱われて行くが、最後に至って融合し大きなクライマックスが築かれる。
曲は悲痛なチェロのソロから始められる、救いなく沈み込んでいく主題Aと次第に動きを増していく主題Bとがコンストラクションをつけるが、互いに分離してしまうほどの相違を見せることはなくある種の統一感を持って展開されていく。
やがて主題Bが祭囃子になると吉松隆の交響曲第2番《地球(テラ)より》の終楽章のようにジリジリと盛り上がっていき、太鼓の乱れ打ちと「はっ!」と言うかけ声で最高潮に達した。
この変奏が終わると「ブラヴォー!!」とでっかい声が掛かり、ワッと拍手が湧き起こった。それを「まだまだ」と指揮者が背を向けたまま制すると哀しみの極致を描く主題Aが始まった。こんな空々しい空騒ぎで曲が終わると思ってはいなかったんで、「コバケンしてやったり」と思った。
ここの主題Aまで(解説によるとフーガ)が大変素晴らしく、「ひょっとしてこれからも演奏される名曲の誕生に立ち会ってるのかも……」と思ってしまった。
しかしここからは残念ながらあまり魅力的に感じることが少なくなり、オルガンがブワーンと鳴るに至ってはちょっと興ざめした。(オルガンを外し、金管でやれば俗っぽさが薄れると思うのだが……) これはフェスティバルホールだから感じたのかもしれない。
最後に高らかに奏じられるファンファーレも祭囃子の方がよく鳴っていたように思えた。
曲が終わるとさっきの「ブラヴォー!!」の人達がちょっと控えめに歓声を上げた。そして大きな拍手。
指揮者が拍手はオケにやってくれとばかりに、オーケストラのメンバーを立たせる。その度に盛大な拍手が湧き起こる。
そして作曲者としてのコバケンがひとこと語り(別項参照)、アンコールとしてイギリスのフォークソングのような曲が(題名知らず)掛かって幕が降ろされました。
長くなるので別項にしました。
まず最初はパッサカリア演奏前の一言です。(うろ覚えです)
「え〜本日はようこそいらっしゃいました。1999年は色々騒がしいこともありましたが、2000年は充実した年でありますようお祈り申しております。
偉大なチャイコフスキーの後に小林とはおこがましいのですが、これも松田さん(このコンサートの推進者)の策略でありましてあがなえなかったのです。(笑いが起こる) 松田さんどこですか? (拍手。コバケンさんがステージから手招きをするが、松田さん辞退する) 最近、娘さんが結婚なされて気落ちしているようです。
これから演奏するパッサカリアは日蘭国交400年を受けて委嘱されました。この曲にはAと言うオランダ・ヨーロッパを表すモチーフと、Bと言う日本を表すモチーフがありまして、A・B別々に発展していきます。Aの方は今世紀の悲劇的歴史を受けて葬送行進曲やレクイエム風になります。この中には戦争の描写もあって、原爆も落ちます。一方Bは尺八や琴を模倣しながら祭囃子も響きます。え〜何節だったかな? ○○節ですよね? (ティンパニの人OKサイン) ……だそうです。そしてこのふたつのモチーフは最後、友好の形で一緒になり、ファンファーレも鳴ります。これは現代に生まれた曲ではありますが、響き自体は耳に馴染みやすいと思います。
それではお聞き下さい」
続いてパッサカリアの演奏を終えて。
「2000年と言う年の最初にこんな暖かい拍手をいただけることは私にとってこの2000年という年は忘れることのできない年となりました。
大阪シンフォニカーの皆さんも普段なら新年と言うことでテンションをリセットしても仕方ないのに、今日のように力のこもった演奏をしていただいてありがとうございました。
10歳の時ラジオでベートーベンの第9を聞いた時、何もない所からこんな素晴らしい物が生まれるのかと感激し、音楽の世界に進むことを決心しました。
父親には猛反対されましたが、10歳から13・15歳頃まで第9のスコアをめくりながら夜中に―――と言っても子供の頃ですから7時、8時ですが(笑いが起こる) ピアノをタララッと弾きながら作曲をしていました。
しかし大学に入るとそこは現代音楽、電子音楽と言った私にとっては無機質なものでした。それで作曲をやめて指揮者になりました。こうしてたくさんのお客様やオケに出会えて私は幸福だと思います。でも曲を作りたいという想いはずっと胸の中にありました。それが今日叶いました。ありがとうございました。(拍手)
それではダニーボーイを演奏してお別れしたいと思います」
今日は余計な話が多いなぁ。
コバケンも言ってましたが、今日の大阪シンフォニカーは大変素晴らしい出来でした。「1812年」であれほどの盛り上がりを見せるとは思いませんでしたし、パッサカリアも入魂の演奏だったと思います。あとはソリストと曲の出来だけ。
総じて、なんか煮え切らない演奏会でした。
さて、次回は京都大学交響楽団によるブルックナーの5番です。技術以外にも全曲を演奏しきるスタミナなど越えなくてはならない問題点は多くあると思いますが、胸一杯の演奏を期待しています。
でも指揮者がなあ……。