玄 関 口 【小説の部屋】 【交響曲の部屋】 【CD菜園s】 【コンサート道中膝栗毛】 【朝比奈一本勝負】

デンマークのがんこ親父
《 カール・ニールセンについて 》


ニールセンはゲロゲロの現代音楽とちゃうで!

 まず声を大にして言いたいことがあります。
「ニールセンはゲロゲロの現代音楽とちゃうで!」
 そうです、彼の音楽はメロディや構成にクセがあるもの、曲自体はロマン派の系統を受け継いでいて、聞いてて耳障りな所はないのです。
 それどころか、ベートーベンによって確立された苦悩から歓喜へ、闘争から勝利へ、と言う方法論に真っ向から挑戦し、自分自身のスタイルへと昇華できた希有の作曲家なのです。
 ではそんなニールセンの音楽とはどんなものなのか、順を追って述べていきたいと思います。
(ニールセンと名の付く作曲家はデンマークにうじゃうじゃいますが、ここで取り上げる人は“カール”の方なので間違えないで下さいね)

デンマークのがんこ親父

 カール・ニールセンを一言で言うと「がんこ親父」です。すぐに怒ってげんこつを叩き込んでくるような迫力があって、自分がこれだと決めたら周りのことなんか目もくれずにその道を突っ走ってしまう。そのくせ無邪気で優しいところがあって、側にいると心が和んでしまう瞬間がある。またクヨクヨするのが大嫌いで、女々しいのが我慢できない。―――「がんこ親父」と聞いて思い浮かぶイメージはそのままニールセンにも当てはまってしまいます。

彼の音楽の魅力

 実際聞いてみて感じる彼の音楽の特徴は、ゴリゴリとしながら優しい一面を持つメロディライン、激しい楽想の転換、特有のオーケストラサウンドが挙げられます。
 特筆すべきはオーケストラから聞ける広々とした響きで、この心地よさは他の作曲家からでは決して聞くことは出来ません。特に緩徐楽章はその魅力が十二分に発揮されていて思わず聞き惚れてしまうものです。
 また全曲を通じて強靱な意志の力が支配していて、神経質になったり、陰鬱としたりすることがありません。

 と言っても20世紀を生きた作曲家らしく革新的な部分も持ち合わせています。例えば曲の調性がそうで、曲想の転換と共にガンガン転調をします。その結果、曲を開始した調からはとんでもない調で終了します。これが「短調で始めてその長調で曲を終える」従来の形式が与える安定感とは違い、新しい境地目指して突き進んでいく印象を与えます。(しかし決して調性の破壊は行いませんでした)
 また打楽器の斬新な使用があります。4番での左右に分かれたティンパニの乱打、5番での小太鼓によるアドリブソロ、6番でのグロッケンシュピールなど多数の打楽器によるクラスターの一歩手前などです。これらの効果的な使用は初めて耳にするとビックリすること請け合いです。(ショスタコーヴィッチなどがこの手法を参考にしてます)
 最後にソナタ形式の積極的な拡大で、4番でその片鱗を見せたニールセンは5番、6番で驚くべき世界を聞かせてくれます。これも若い作曲家にとって大きな道しるべとなりました。

ではなぜマイナーなのか?

 ではなぜこんなニールセンがそんなにも知られていないのかと言うと、それは祖国デンマークで一般聴衆のウケが悪く、なかなか海外まで曲が出ることがなかったからです。
 当時のデンマークの聴衆はまだまだ保守的で彼の独創性に追いていけず、結果ニールセンを「難解な現代音楽」と見なしてしまったのです。そのためニールセンはデンマーク本国において「我が国を代表する作曲家なんだろうけど、ちょっと聞きたくないな」と敬遠されたのです。
 そのため彼の管弦楽曲などはあまり見向きされず、素朴な魅力に溢れる歌曲ばかりが取り上げられていました。(逆に言えば歌曲の分野では日本の山田耕筰級の扱いだったわけです)
 北欧音楽のもう1人の雄シベリウスがフィンランド国内にとどまらず、早くからイギリスやアメリカに作品を紹介してくれる理解者がたくさんいたのとはだいぶ違います。(日本にも渡邉暁雄がいた)

ニールセン ルネッサンス

 しかしこれ程の曲を世の中すべての人が放って置くわけがなく、識者の中には彼を支持した人もいました。その一人はシベリウスで、ニールセンの死後22年経った53年にニールセン・フェスティバルがコペンハーゲンで催された時、次のようなメッセージを寄せました。

「偉大なるデンマークの民カール・ニールセンは、その作品には音楽のあらゆる形式が含まれているが、生まれながらの交響曲作曲家だった。(私の見るところでは)最初から明確にもっていた志を遂げるため、その偉大なる知性をもって天賦の才能を磨いた。その力強い個性によってひとつの流派を打ち立て、多くの国の作曲家たちに影響を与えた。頭脳と精神について言うならば、カール・ニールセンは、いずれも最高級のものを持ちあわせていた」

 シベリウスが他の作曲家を誉めることは滅多にありませんからすごいことです。
 またイギリスの音楽学者でマーラーの交響曲第10番を補筆したデリック・クックはニールセンの第5番をして「20世紀のもっとも偉大な交響曲」と評価しています。
 そんな中1950年にエジンバラ祭にて行われた、エリク・トゥクセン指揮デンマーク放送交響楽団の5番の演奏が大成功を収め、ようやく世間一般に彼の交響曲が認められるようになりました。
 日本でも近年の北欧音楽に対する関心の高まりから徐々に注目されるようになってきました。

ノン レッテル

 我が日本でニールセンの紹介が著しく遅れているのは、ひとえにレッテルがないことだと思います。
 彼の音楽はデンマーク人の民族性を意識させるものではありませんし、当時腐りかけるほど爛熟した後期ロマン派でもありませんし、第1次大戦後に作曲界の主流になる12音音楽でもありません。ましてや誰々と何々楽派を作っていたわけでもなく、彼の存在はポコンとひとつだけ浮き上がった存在なのです。
 それが彼の独自性に継がるのですが、何らかのカテゴリーに属していないとそれを認識することができないと言う情けない国民性を我々は持ってしまっているので、この自由な作曲家はなかなか浸透しないでいるのです。あ〜あ。
 それでは余りにも勿体ないので、だまされたと思って一度彼の曲も聞いてみて下さい。きっと驚くと共に素晴らしい交響曲に触れる喜びを感じることと思います。

簡単なニールセンの生涯について

 カール・ニールセンはシベリウスと同じ年の1865年10月3日に自然の美しいデンマーク第2の島であるフューン島の農村で生まれました。簡単に言うとデンマークのちょっと田舎です。
 そこでカールはペンキ職人で農場手伝いもしていたニルスの12人兄弟の7番目として生を受けました。ちなみにニールセンとはニルスの子という意味で、こういう名前の付け方はこの国では当たり前の習慣だったようです。ですからデンマーク近隣の人には○○センと言う名前が多く、この国では童話でその名を不朽のものとするアンデルセン、ノルウェーでは作曲家で指揮者だったスヴェンセン、我が国でもやめられないとまらないカッパえびセンなど枚挙にいとまがありません。
 父親が村の楽士をしていたため幼い頃から音楽に親しみ、8歳頃にはその楽隊に参加させてもらって時々演奏していたそうです。この頃すでに自作の曲を楽隊に演奏してもらうなどその才能の片鱗をみせていたのでした。
 この時代のデンマーク国民は裕福ではなかったため、カールも14歳の時に食料品店に奉公へ出ました。しかしどうしても音楽がしたかったカールは父の後押しを得て、フューン島の古都オーデンセの軍楽隊にラッパ手として就職しました。17歳の時、オーデンセでの後援者の援助で首都コペンハーゲンに行き、自作の曲を王立音楽院院長に見せ、それが認められて18歳の時この音楽院で教育を受けるようになりました。
 音楽院ではヴァイオリンと作曲を学び、21歳で卒業後はフリーのヴァイオリン奏者(ソリストではなくカルテットのリーダー)と音楽の先生をしていましたが、24歳の時にコペンハーゲンの王立管弦楽団に第2ヴァイオリン奏者として入団しました。また25,26歳の時には奨学金を得てドイツ・フランス・イタリアの音楽界を遊学しました。この時パリでデンマーク人彫刻家のアンネ・マリー・ブロルセンと出会い、同年結婚をしました。二人とも豊かな才能と強烈な個性を持っていたためケンカも多かったそうですが、互いのことを深く理解し、愛し合ったふたりだったようです。
 この頃から彼の曲も世に出始めて、次第に作曲家としての名声を得るようになりました。その一方指揮者としての活躍も多くなり、40歳で王立管弦楽団を退団し、ヴァイオリン奏者としては引退をしました。しかしその後は作曲家、指揮者、王立音楽院の教師として活躍し、51歳の時に音楽院の理事会メンバーに選任され、65歳の時には同院長に就任しましたが、翌年1931年心臓発作のため66歳で死去しました。


全交響曲について

 彼の残した6曲の交響曲はどれも素晴らしいもので、しかも第1番からニールセンらしい個性を持つに至ってます。
 特に第3番から5番までの3曲は古今東西の交響曲の中でも傑作と呼ぶにふさわしいものと言えます。

(ニールセンの作品番号は作曲者自身による付け替えが多いので Dan Fog氏と Torben Schousboe氏の研究によるFS番号を併記します)

交響曲第4番 《不滅》 作品29(FS76)

 この曲はキャッチーなメロディと共に左右に分かれたティンパニの乱打という派手な演出があるので、全6曲中最も有名です。しかし上っ面ばかりで曲の本質に迫っていない演奏が多いのには困ってしまいます。

着手
1914年
完成
1916年
初演
1916年2月 (作曲者自身の指揮によるコペンハーゲン音楽協会の演奏)
構成
単1楽章 (アレグロ−ポコ・アレグレット−ポコ・アダージョ・クワジ・アンダンテ−アレグロ)
解説

 “不滅”と言うサブタイトルですが、どうも訳としては具合が悪いそうです。最近では“消し難きもの”が使われています。
 原題(デンマーク語)の“Det uudslukkelige”とは、かまどで薪や藁などが消えずにチロチロとくすぶっているのに使われる言葉で、英語の“The inextinguishable”や日本語の“不滅”ではそのニュアンスを正確に伝えることはできないらしいです。ニールセン自身も、デンマーク語以外ならイタリア語の“L’inestinguibile”を使ってくれ、と言っています。
 作曲は第1次世界大戦中の1914年から16年にかけて行われ、16年の2月にニールセンの指揮により音楽協会のコンサートで初演されました。
 曲の構成は単一楽章で成っていますが、シベリウスの7番ほど緊密ではなく、ソナタ形式−スケルツォ−アンダンテ−ソナタ形式をブリッジでつなげたものとなっています。また第3交響曲まで明記されていた調性がこの曲以降なくなっています。

 さて、第1次世界大戦と言う未曾有の災禍の中、彼はこの曲にどんな思いを込めたのでしょう? 彼はこんな言葉を残しています。
「“消し難きもの”と言う標題によって、作曲者は音楽だけが十全に表現できる事柄、生命の基本的意志を一言で示そうとした。音楽は生命であり、そして生命と同様に打ち消し難い」
 しぶとくチロチロとくすぶり続ける火はいったい何なのでしょう。この曲で高々と奏でられる調べに身を浸してみませんか? (うがったものの見方で生命と同時に調性音楽の不滅さをも謳っていると言う意見も聞きますが、余りにも矮小で笑ってしまいます)

 オーケストラの編成はフルート3(3番はピッコロ持ち替え)、オーボエ3、クラリネット3、ファゴット3、ホルン4,トランペット3,トロンボーン3、チューバ1、ティンパニ2組、弦楽5部。
 (非常に大編成のオケで、これにワーグナーチューバ4が加わればほぼブルックナーの9番と同じになります)

うんちく

 どうもマニアの間では5番の評価だけが異常に高く、この4番の評価が低いんです。でもこの曲も5番にまったく劣らない内容を持っていますので、その証明のためにも無謀を承知でこの曲を簡単に解析してみようと思います。しかしニールセンの研究書を読んだことはなく、音楽理論の教育も受けたことがないので、直感と思い込みに寄っかかって書いてしまってますので、参考程度にしておいて下さい。

 冒頭で重要な動機が2つ提示されます、1つ目はいきなり弦楽器とトロンボーンとチューバで提示される前打音的な音型(動機a)、2つ目は動機aのすぐ後に木管によって提示される三連符による音型(動機b)、これらがわずか1小節あまりで提示されます。ふたつはまったく融合されることなく常に対立するように各々が発展されていきます(第1主題群)。ちなみに動機bを提示している時、ホルンとトランペットも音を出していますが、これは動機bの和声を支えてるだけなので、この楽器の音を強調してしまっている演奏はこの曲のことをよく解っていないと私は判断します。
 そしてチェロのソロの後、ファゴットの対旋律を伴いクラリネットの二重奏で牧歌的な旋律(第2主題)が奏でられます。この第2主題は後の3つの部分にも形を変えて現れ、全曲を統一する役割を担っています。普通こういう役目は第1主題が担うものですが、それを第2主題がやってしまうのがニールセンのおもしろさです。
 展開部は2つの主題群で進められますが動機a、bそして第2主題の3つの主題はそれぞれの進行に互いに干渉し合います。絶えずジャマをするように裏で鳴っていたり、あるいは曲の進行そのものをぶった切るように乱入してきます。このめまぐるしい曲想の転換が第1部の聞き所です。
 再現部で第2主題が高らかに奏でられますが、やがて力を失い沈み込んでいきます。
 スケルツォ的な部分では木管によるチャーミングな主題(スケルツォ主題)が奏でられますが、これは第2主題が元になっています。また動機bが合いの手で挿入されているのも聞くことが出来ます。
 トリオを挟み再びスケルツォになりますが、この部分では金管と打楽器は完全に沈黙し、弦楽器もヴァイオリンを除くとほとんど出番はありません。
 ほっと息を付くような安堵感と愉快さが溢れています。
 しかしそれもヴァイオリンによる悲痛な響きによって打ち破られ、アンダンテの悲劇的な部分に入ります。
 ここの主題(アンダンテ主題)も第2主題を元にし、主題の裏ではティンパニが拍をずらしまくりの動機aを叩き、不安な気持ちを増加させます。
 大きな山場が築かれた後、静かな響きの中に緊張感が漂い初め、弦が速いテンポで疾走感溢れる想句を奏でます。このテンションが最高潮に達したときフィナーレに突入します。
 フィナーレ主題も第2主題を元にしていますが、もはやズタズタにされて断片的になってしまっています。この荒々しい破滅感は左右に分かれたティンパニの強打で更に激しく強調されます。ここが戦争を表現しているのは明らかなので、単にティンパニによるアクロバティックな派手さだけしかない演奏は底が浅いと私は判断します。何かプラスアルファの表現が欲しい箇所です。
 やがて音楽は沈み込み、このまま沈黙に向かうのかと思わせた頃、第2主題がフルートとオーボエのよって密かに再現されると音楽はゆっくりと力を取り戻します。ティンパニの乱打も再び現れますが、今度はそれに打ち負かされることなく第2主題が奏でられ、ティンパニの乱打が止むと金管によってこれが勝利を宣言するように高らかに斉奏されます。そしてスケルツォ主題とアンダンテ主題の断片が重ねられると一気にクライマックスに向かい、今まで対立しかしなかった動機aと動機bとが肩を抱き合うように融合した音型が現れて消えると、力強くまた輝かしくこの曲の幕が降ろされるのです。

 上のような文学的な表現は時代遅れもいいとこなのですが、もう一度4番も見直して欲しいと思い書いた次第です。

(謝辞)

 このページを書くに際して、ヘルベルト・ブロムシュテッド&デンマーク放送交響楽団のニールセン交響曲全集(東芝EMI発売)に添付している、椎名淳之氏によるライナーノートを多大に参考させてもらいました。誠にありがとうございました。


CD菜園s”ニールセン/交響曲第4番 《不滅》”へ戻る