ザ・シンフォニーホールへ3年ぶりにやってきました。そんなにご無沙汰だったとは思わなかったのですが、ホール右側にあった喫茶店とかが入ったビルが駐車場になっていたのを発見した時はさすがに月日の流れを感じてしまいました。
と言う訳で、今回の佐渡さんとセンチュリーのコンサートも3年ぶりなんですが、チケット争奪戦にすっかり乗り遅れてしまって、気が付いたら座席は最前列の左端でした。
座ってみれば、第1バイオリンの最後尾に座る感じで、ステージ上の様子がほとんど見えません。また指揮者の方向を見ようとすると首が千切れそうになったので、早々に諦めました。
ですから、今回はステージ上手にある扉前の床を凝視しながらの鑑賞となりました。
まず、気になったのはオケの鳴りっぷりです。何だか元気が足りない。第1楽章の真ん中ぐらいでだいぶ音に力がこもる様になったのですが、やはり第一印象は物足りないと感じるものでした。
また音符の最後の処理(書道で言うと“払い”)がややいい加減にしていると感じました。フレーズの最後がふにゃふにゃと終わる感じがして、余り好ましく感じませんでした。
高関さんがシェフをしていた頃のセンチュリーは、オーケストラサウンドの中心に確かな核(コア)があって、精緻でクリスタルな音がする素晴らしいオケだったのですが、一体どうしたのでしょう? 座った席が悪かったのでしょうか? もしそうだったら嬉しいのですが。
佐渡さんの指揮に話を移しますと、テンポ設定は中庸よりほんの少し速めでしたが、ドライブ感が良く、実際のテンポ以上にグイグイと進む感じを受けました。
また余りテンポをいじらず、インテンポを基調としていましたが、音楽的に大きく盛り上がる所(例えば、第1楽章再現部に入る所や終楽章でのオケの2重フーガから歓喜の合唱に入る所など)は、歌舞伎の様に大見得を切るものだから、音楽の流れのよさがそこで途切れる感じがして、少しがっかりしてしまいます。
そういう大見得を切っていることを聴衆に感じさせず、自然と聴かせ所の頂点へと導くのがこれからの佐渡さんに必要だと思うのですが、どうでしょう? と言うのもテンポの遅い所(例えば第3楽章)では、どっしりと腰が据わっていて、分厚くそれでいて流れの良い音楽で、非常に心地良いものだったからです。
インテンポを基本としながら、曲の頂点へ向かってジワジワとしぶとく進め、クライマックスで爆発するようなカタルシスを与える。そんなスタイルが佐渡さんに似合っているのではないかと、少し思いました。(余計なお世話ですね)
そうそう、話はずれますが、佐渡さん痩せてすごくスマートになった感じがするけど、私の気のせいですか?
独唱及びコーラスですが、独唱陣の方はほとんど印象に残っていません。可もなく不可もなくと言った感じです。
コーラスもそつなく、なかなか気合の入った歌唱だったのですが、テンポが速くなると単語の発声が怪しくなってモゴモゴと口が開かなくなっている人がいました。
コーダ近くではかなりのハイスピードだったのですが、あのテンポによく喰らい付いて行きました。敢闘だと思います。
曲のコーダでは解かりやすい熱のあるクライマックスを築き、大いに満足しました。さすが佐渡さんです。(けどちょっと飛ばし過ぎ)
会場もブラボーの歓声と大きな拍手が湧き起こり、何度も佐渡さん達をステージに呼び寄せるものとなりました。
もうご存知のように、大阪府はいま財政を立て直すため、大胆な改革を実行中です。その中で、大阪府からの補助金が大きなウエイトを占める大阪センチュリー交響楽団は厳しい岐路に立たされていると思います。
そんな逆風にめげずに頑張って欲しいとは思うのですが、……思うのですが、何か元気のなさが音に表れていると、このコンビによる第九を10年も聴き続けてきた私には感じられました。5年ほど昔のあの輝きが懐かしいです。
もしこれが座った席のせいだったのなら、私の誤解であり、素直に“ごめんなさい”します。(いや、むしろそうであって欲しい)
総じて、なんだかしょんぼりとした演奏会でした。
さて、このコンサートの次は大植さん&大阪フィルによるフェスティバルホールの第九(29日)です。
年末の第九は振らないと言っていたような気がするのですが、大植さんが2年連続の指揮台となりました。
またフェスも50年の歴史に一先ず幕を降ろし、リニューアル工事を受けるため、取りあえずラストコンサートとなります。一体どのような演奏会になるのでしょうか? 楽しみです。