JR郡山駅を降りますと、昔懐かしい下町の風情を濃厚に残す町並みを抜け、郡山城が眼前に広がる郡山城ホールへと到着しました。
ロビーではプレコンサートとしてモーツァルトのクラリネット三重奏曲が演奏される中、席取りのため客席へと向かいました。
見た感じ、1階席の客の入りは良好で、けっこう席が埋まっていたように見受けられました。
1曲目として始められたハフナーですが、まずモーツァルトの持つ独特の華やかしくも暖かい音色を充分に表現していたことに感心しました。またテンポ設定も落ち着いた非常に的を得た中庸的なもので、安心して聴いていられるものでした。
しかし全体的にスパッとした音出しが出来ていなかったので、音符がクッキリと聴こえては来ず、小節の頭でアクセントを付けないので、弾けるようなリズム感に乏しいものになったと思います。その点がやや残念。
演奏時間20分少々で15分の休憩に入りましたが、客席が少々驚いていました。
休憩後は管楽器に合わせて弦楽器の数もグンと増えてのブルックナーですが、冒頭のトレモロから雰囲気充分で、ブラームスでもマーラーでもないブルックナーの世界がしっかりと立ち上っていきました。
指揮の船曳さんは速めのテンポで曲をスイスイと進めていきますが、性急な感じは全く受けませんでした。またテンポ変化もかなりやっていましたが、嫌味な感じはせず、地面にしっかりと足を着かせたもので好感を持ちました。
指揮ぶりも大きな身振りでテキパキと指示を出していましたが、つま先立ちになったりする姿がパントマイムをしているようでちょっと面白かったりしました。
オケの方は冒頭から気の張った演奏を繰り広げて、緩むところはなかったですが、決め所での絶対的な音量が不足していたのが惜しいと思いました。(例えば第1楽章コーダのホルンなどは音を割っても良いから思いきって吹いて欲しかった)
またモーツァルトの項で述べたことはここでも共通しておりました。
しかしブルックナーで大事な対位法の絡み合いなどは奮闘していたと思います。余り目立たないパートがここを自信なさげにやっちゃうとブルックナーは途端に面白くなくなるので、この点は大変良かったです。
スケルツォなど聴いていて大変愉しかったです。
ブルックナーの真髄である終楽章ですが、まず感心したのが、指揮者がこの楽章を充分に理解していて曖昧にすることがなかったことです。次々と現れる楽想が非常に継がり良く展開する様子は予想外のことでした。しっかりとしたブルックナーの世界です。
しかしオケには疲れの色がはっきりと見えだし、金管は音程が揺れ、弦も合わせ難い所で急にギクシャクしだしたりしました。
それでもコーダでのクライマックスはしっかりと描かれ、満足のいくものとなりました。
演奏中「ひょっとして」と思っていましたが、コーダでのホルンの音型を聴いて「あ、ハース版だ」と気付きました。ブルオタ失格です。
そうそうティンパニの演奏が非常に光っていました。この人のプレイで演奏が非常に締まったものになっていたことを書いておきます。
それにしても、この曲のホルンが目立つ所に限って出し難い音程で書かれているのは、きっとワザと書いてあるんでしょうねー。
最後の和音が鳴り響くと同時に拍手が起こりましたが、追随する人がいないことに「あれ?」と思ったのか、しばらくすると止んでしまいました。そしてきちんと静かになったことを確認してから船曳さんがタクトを降ろすと、改めて拍手が起こりました。
続けられる拍手に応えてアンコールが掛かりました。
シューベルト…劇音楽「ロザムンデ」より間奏曲
いや〜、どうしてこの曲の冒頭はふにゃっとなっちゃうのでしょうかねー。
色々書いてしまいましたが、モーツァルトにしろブルックナーにしろ、その作曲家固有の音色がしっかりと出ていたことに感心しました。
次回はシベリウスのヴァイオリン協奏曲とショスタコーヴィッチの交響曲第5番だそうです。これも非常に興味のそそられるプログラムです。
総じて、いい感じに音色が出ていた演奏会でした。
さて次回はいよいよ年の瀬ということもあって、第9三昧となります。その第1弾として広上淳一&大阪フィルの演奏会に行って来ます。N響との「大地の歌」が大変素晴らしかったですが、大阪でどんな第9を聴かせてくれるのか大変楽しみです。