大学時代4年間住んでいた京都のイメージと言うと、背のちっちゃな建物がひしめき合っているといったものだったが、地下鉄北山駅の「京都コンサートホール」と書かれた矢印に導かれて地上に出ると、いきなり大きく開かれた空が眼前に広がったのに驚いた。京都にまだこんな場所が残っていたのかと思ってしまった。幾本かの木々を従えて今日の目的地である京都コンサートホールがひょこっとグレーの体躯を覗かせている。円柱と直方体を重ねあわせたフォルムは現代美術の香りを漂わせて、この京都の気質にマッチしていた。
エントランスをくぐるとこじんまりとした空間があり、トーテムポールのようなオブジェが円形に並べられていた。これを中心に見据えて、螺旋状になった廊下を少しずつ上がる構造になっている。オブジェに見とれていると、手すりや壁に肩をぶつけそうになる。しかし廊下を進むにつれて天井が段々と低くなり、眼下のオブジェを覗き見る窓も床の低い所へと沈んでいく。そして窓からの自然光が徐々に間接照明に取って代わられ、妙に重圧感を受けるようになっている。そのプレッシャーが最高潮に達した時、大ホールの入り口に到着する。(小ホールはもうちょっと廊下の先だ)
そして廊下を歩く際に受けた抑圧は、受け付けを通りホワイエに到達するとみごと解消される。ポーンと抜けた天井、壁全面に大きく取られた窓、そして明るい外からの光。これらが圧倒的な開放感を与え、ここへ来た者にまるで別世界に来たような空間を提供する。素晴らしい演出。 条例であまり高くできない建物の高さを上手く感じさせないようにしている。
ちなみに窓の外には京都府立大学農学部の農園があって、梅(?)がたくさん植えてあった。3月頃来るときれいかもしれない。
ホール内に入ると、意外に小さいことに驚く。いずみホールくらいだ。ステージ、客席を合わせ箱型をしていてシューボックスタイプと呼ばれるやつだ。やや低い天井には三角の積み木をいっぱい貼り付けたような装飾がされていた。また内装は木目とアイボリーで統一され、落ち着きの中に軽やかさも兼ね備えられている。
ステージと同じ幅の客席は横が狭く、1、2階の正面には緩やかなスロープが付けられている。舞台はとても見やすい。しかし2、3階のサイド席ではステージ全体を見渡すことは若干難しいか。と言ってもポイントは押さえられているので音楽を聴くには問題はないと思われる。
椅子は背骨のサポートがしっかりしていて、すごくよろしい。私が行ったことのあるホールでは最高峰。ただちょっとお尻がずってしまうのがもったいない。
音響の方は残響音がとても長く、非常に豊かに響く。しかしそれでいてとても繊細で、楽器の直接音を重視した音響になっている。言い方を変えると、残響音はステージの真上で丸く固まっていて、そこから滲み出した音が客席に届く感じだ。だから残響が長いのにも関わらず、音像がぼやけることはなく楽器のアタック音等がシャープに聞こえてくる。ステージとの一体感もなかなかよろしい。
今日の席は1階の前から14列の少し左寄りだったが、ちょうど演奏者と同じ目の高さでとても良い席だった。このホールは音響が良いのでどの席でも良いと思うが、1階席の4、5列目から15列目がベストだろう。
始終気になったことは左手のポジションが決まらず、音程をよく外していたことだ。それにスタミナ切れか終楽章ではなんだかボロボロだった。今年56歳ともなれば、もはや技巧で押すことはできまい。すると今後は音楽にどれだけ味を出すかにかかっているだろう。その割にはこの曲を完全に掌握しているとは言えず、メロディーを歌いきれていない個所が何個所か見受けられた。
とは言っても、1、2楽章ではしみじみと聞かす所もあり、全くダメではなかったことを付け加えておく。第2楽章が良かった。
最初の音で縦のラインが全然合わなかった。朝比奈がいつ振り出したのか、見ているこっちも解らなかったぐらいだった。それからもテンポが定まらず、フラフラと揺れ動いていた。どうも朝比奈は速めのテンポで行こうとしているようだ。しかしオケの方はいつも通りのテンポで行こうとし、両者が激しく攻めぎ合いをする序奏部となった。
結果的に第1主題がフルートで奏でられた後、トッツィになった時にやっとテンポが固まった。ちなみにフルートソロの部分が速めのテンポで、フェルマータの後はいつも通りのゆっくりとしたテンポだった。
そのため呈示部を繰り返す時、珍しく御大が譜面をめくって(朝比奈は譜面台に総譜を置くがほとんど見ない。その代わり本番でやるテンポがちょろっと書き込んでいる)自分の考えていたテンポ(すなわちフルートのテンポ)で押し切るか、フェルマータの後でテンポが落ちてしまった最初の呈示部と同じに形にするか、悩んでいるようだった。結局後者を選んだ。この後の第1楽章自体の解釈は97年録音のCDとほぼ同じだったと言える。
それにしても再現部で見せる、この曲に潜む一瞬の陰を抉り出す解釈はこの人の独壇場だ。
打って変わって第2楽章からは97年のものとは違い、朝比奈の狙い通りに速めのテンポでキリリと進んでいく。第2楽章はまさにアレグレットで颯爽と駆け抜けていった。その分ややあっさりして物足りなく、「あれっ」と言う間に終わってしまった感じだった。
第3楽章ではCDと比較してもスケルツォは同じだったが、トリオにおいては異様にテンポダウンするCDとは違い、テンポが落ちることは落ちるが、ツボにはまった落とし方だった。充実感で言うと今日の演奏の方がずっと良かった。ただスケルツォの楽しさではCDの方が上。
スケルツォが終わると楽員がすばやく譜面をめくって、アタッカでフィナーレに突入しようとした。しかし客が「ゴホン、ゴホン」と一斉に咳を始めたため、御大が指揮棒を構えたまま暫し待つシーンがあった。フェスティバルホールでは絶対にない光景だ。ま、こんなこともあるか。
そのフィナーレだが、ここは曲の出来が良いので放って置いても観客を興奮の坩堝(るつぼ)に叩き込んでしまうのだが、注意しないとコーダで煽りまくってしまい曲が唯のバカ騒ぎに聞こえてしまうことがある。
しかし今日の演奏はそんなことは一切なく、オケの集中力が最高に高められた中、速めのテンポでグイグイ進み、朝比奈にしては非常に切れのあるものだった。それでいて彼独特の骨太な雄大さもたっぷり堪能でき、素晴らしい演奏だった。個人的には後半2楽章が97年のCDよりも更に上回る演奏だったと断言する。
曲が終わると同時に爆発するような拍手と歓声。間違いなくブラボー級。万雷の拍手の中、御大は正面、右、後ろ、左と深く頭を下げていた。
オケが解散しても観客の半数近くの人が帰らず、ステージに詰め掛けて拍手を送っていた。そのため御大がゆっくりとした足取りでステージに上がり、カーテンコールを行いました。一般参賀です。
すごい拍手。朝比奈もそれに応えてずいぶん長い間ステージに立っていてくれました。この時、おじいちゃんが掴った譜面台から楽譜がバサバサと落ち、それを「よっこらせ」と拾う微笑ましいシーンもありました。
総じて、骨太で熱い演奏会でした。
京都コンサートホールまで奈良から2時間ちょっとで辿り着けました。これなら充分射程距離内と言えます。後は草津市にあるびわ湖ホールがどうかな? 一度行ってみたいです。でも3時間かかるとしたらちょっと辛いものがあるな。
と言うのも、今年に入って仕事場が変わり、そこでは土曜・祝日なんかなく(下手すりゃ日曜もないぜ)、おまけに片道2時間の通勤をしていることもあり、日曜ぐらいは身体を休めたいと思っているからです。(とどめに夜勤まである) しかし、家で寝ているだけじゃつまらないので、魂をリフレッシュさせるべくちょくちょくコンサートに出かけて行きたいと思います。(クラシック以外も行きたいな)
さて、次回はついに、ついに生で聞けます! 朝比奈隆のブルックナー! これだけはどんなに忙しくても絶対に行きます!
……と、書いてあったのに、……し、仕事で行けなかったあーーーっ! ううっ(むせび泣き)。