ブルックナーやベートーベンで培ったノウハウを用いて演奏する朝比奈のマーラーは非常に個性的で独特な世界観を持っています。ただ残念なことに最晩年ではそのすべてをレパートリーからはずしてしまいました。
朝比奈は交響曲では1番と10番を除くすべてを振っていますが、残されている演奏は非常に少なく、それぞれ2枚あれば上出来で、現在音源の見つかっていないもの(4番・5番)もあります。
(95年「大地の歌」のライナーを担当した平林氏が朝比奈に話を聞いたところ「朝比奈の記憶によると、最初は4番で、1番と5番も振ったらしい」との記述がありました。ひょっとすると1番を振ったこともあるのでしょうか? 音楽之友社から刊行されていた「朝比奈隆 栄光の軌跡」の演奏会記録には記載されていませんでした)
1995.9.17 L | 大阪フィル | ザ・シンフォニーホール | ★★★★★ |
CD | Pony Canyon | PCCL-00344 | |
CD | Pony Canyon | PCCL-00522 | HDCD |
演奏について
“朝比奈隆の軌跡1995”における演奏で、同曲3回目かつ最後の演奏となった。 テンポは曲想に合わせて様々に変化するが、音楽の流れは一貫してじっくりかつ堂々としている。それはただ遅いだけではなく第1楽章のマーチの部分などでは実に生き生きとした進行をみせる。オーケストラは分厚く鳴り、芝居気のない素朴で雄大な響きを出している。 この曲の第1楽章では奇数連符と偶数連符を対位法によってぶつけ合い、その緊張により岩山のごとく無機質な自然の厳しさを表現しているが、この演奏ではそれをきちんとなぞるため、妙にギスギスしているように聴こえる所がある。(別にアンサンブルが崩壊している訳ではない) 声楽については独唱・合唱・児童合唱とも全員健闘していて何も言うことはないが、特に女声合唱に金切り声を上げる人もおらず、穏やかながらクリアーな歌い方をしていたのが印象に残る。 どんな些細なメロディーにも細心の注意が配られていて、おざなりに聴こえる旋律はひとつもない。また各々のモチーフに則した様々な表情付けが行われているにもかかわらず、全体として一本の大きな流れがあり、スケールの大きな響きと合わせ、まさに大河のような音楽の歩みが存在する。そして音楽はすべてが終楽章に集約するよう設計され、万感の想いがこめられた旋律のひとつひとつはコーダに近づくたびに大きく膨らんでいき、包容力に満ちた圧倒的なクライマックスを築き上げる。 朝比奈のマーラー演奏のみならず、数多くあるこの曲のレコードのなかでも屈指の演奏だと思う。 演奏とは直接関係ないが、終演時に感極まったのか、声を振り絞るような観客の歓声が入っている。しかしこれはこちらの感動をぶち壊すほどみっともないものなので、できればカットして欲しかった。 《独唱》 永井和子(A) 《合唱》 大阪フィルハーモニー合唱団、大阪すみよし少年少女合唱団 |
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録音について
何より低音がくっきりと記録されているのが大変良い。音の広がりも自然でかつ広く、音の色彩感も鮮明だ。また特定の音域が突出することもなく、エネルギーバランスがとても良い。加えてシンフォニーホール内に満ちる空気の震えまでがマイクに入っていて、臨場感が大変素晴らしい。 |
1979.9.7 L | 大阪フィル | 東京文化会館 | ★★★ |
CD | 大阪フィル | GDOP-2005 | |
演奏について
第18回東京定期公演のライブ録音で、初振りとなる4日前の大阪定期公演に続く2回目の演奏。 第1楽章のアレグロ・エネルジーコが示す通りの颯爽たるテンポが採られているが、決して足取りは軽くなく、どしっと腰を据えた重量級のリズムで突き進んで行く。ハーモニーは低弦楽器から積み上げられた弦の分厚い響きを土台として、金管楽器や打楽器が豪快に鳴り響く。このパワフルさは当時の国内オケのレベルからみると驚異的なスタミナで、また野性味あふれる力強さはこのコンビでも70年代しか聴けない独特の味をもっている。 速めのインテンポを基調として、各楽想ごとの変化はあまり付けて行かないが、終楽章に入るとさすがにテンポの伸縮は大きくなり、特にハンマーが打ち下ろされる所はかなりのスペクタルとなる。しかしそれらは感情に任せてただドラマティックになるのではなく、あくまでストイックさを貫き通したものであり、コーダで最後の音が消えると一大叙事詩を聴き終えたような充実感が満ちる演奏となっている。 |
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録音について
音はなかなか鮮明で自然な音場の広がりは非常に好ましい。楽器の配置状況も低音楽器を除くとよく判るもので、ステージの奥行きも感じ取れる。 ただ終楽章のハンマーだけは専門のマイクでも立てているのかすごい音圧で収録されていて、驚くくらい迫力がある。 |
1992.2.18 L | 大阪フィル | フェスティバルホール | ★★★ |
CD | 大阪フィル | GDOP-2009 | |
演奏について
第262回定期公演の演奏で、朝比奈最後の6番となる。 この演奏も快速なテンポが採られているが、79年と比べると全体的に落ち着いた風情が出ている。スケルツォなど更に速くなっている所もあるが、牧歌的な所ではぐっとテンポを落とし込むため、速いにもかかわらず落ち着いた印象を受けるのだと思われる。また高音楽器を抑え、打楽器のピッチを低めに取っているため、ハーモニーバランスが低音寄りとなっていて、普段聴くこの曲のサウンドイメージとは少し違っている。 朝比奈にしてはロマンティックな方向を向いた演奏だと思うが、過剰な表現は一切なく、包容力にあふれた暖かくかつスケールの大きい音楽となっていて、特に第3楽章の素朴ながら心の琴線に触れてくる歌い口は格別だ。また全体をまとめる構成力が見事で、この長大な曲を冗長に感じさせることなく、俯瞰的な巨大な視野で物語を進める感じが、絵巻物を読み解いて行くようなイメージを抱いてしまう。 ただこの演奏、拍の頭でアンサンブルが揃わないことが多々あり、決め所のハンマー等がはっきりとずれてしまっているのが痛い。 |
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録音について
音自体はフレッシュに録れているが、少しこもっている感じで、それほど良好ではない。 低音から高音まで自然なバランスで収録されており、左右の広がりはそれほどでもないもの、奥行きを感じるものとなっている。 |
1981.7.28 L | 大阪フィル | 東京文化会館 | ★★★★ |
CD | 大阪フィル | GDOP-2006 | |
演奏について
第20回東京定期公演の模様。マーラーの7番に関してはこの演奏と15日に大阪で行った演奏が朝比奈の演奏記録のすべてとなる。ちなみに日本で4番目くらいの演奏だったらしい。またインタビューなどでこの曲の先進性をほめる一方、後年には「この曲はマーラーを信じてやるしかなかったが、わけが分からなかった」と語っていた。 冒頭ですぐ耳につくのは弦のトレモロをバカ正直なくらいきちんと弾かせていたことで、全体を占めるスローテンポと合わさって野暮ったいくらいだ。曲想に合わせて微妙にテンポは変化するがその差はわずかで、基本的には非常に遅いテンポをずっとキープしていく。 オーケストラについて言うと、ソロでは技量の脆弱性を露見してしまうが、全体として見ると大変厚みがあり、金管が吼えたときの豪放さは大変魅力的だ。 第1楽章ではまだ固さが見られるが、スローなまま築き上げていくコーダは圧倒的でびっくりしてしまう。それ以降は音楽に潤いが感じられるようになり、楽章が進むにつれ対位法的に絡み合う各旋律が有機的にまとまり始め、非常に音楽がまろやかになってくる。そして終楽章に入っても依然としてスローテンポを保ち、何かと物議を醸し出すこのフィナーレを“夜”のイメージで統一しようとしている。その一方で音楽はじりじりと熱を帯び、コーダでは非常に力強く壮大なクライマックスを描き、大変な充足感を得られる。 終楽章もスローテンポで貫き通す方法はたぶんクレンペラーの名盤を参考にしていると思われるが、音色の暖かさと音楽の熱さで別の味を出すことに成功していると思う。 |
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録音について
産毛が見えるようと言ったらいいのか、音がとても繊細に収録されており、音色も大変フレッシュで高音の抜けもよく、楽器のアタック音がスカッと立ち上がる様は気持ちいいくらいだ。音場は自然な配置で左右の広がりも良好。これに奥行き感があれば最高だったが、その点は仕方ない。ちなみに楽章間のインターバルもノーカットだ。 残念なことは、ライナーノートやバックカードに記載されていることだが、終楽章のコーダ近くに大きなドロップアウトがあることだ。できるだけ可能な手段での修正が試みられているが、誰が聞いても判ってしまうほどのキズであるのが非常にもったいない。 |
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同時収録
・リスト…交響詩「前奏曲」 |
1972.6.5&6 L | 大阪フィル他 | フェスティバルホール | ★★★ |
LP | Victor | CD 4 K7513/4 | 4chステレオ |
LP | Victor | 不明 | 4chステレオ・試聴盤(オムニバス) |
LP | 不明 | PRC-70007/8 | 自主制作 |
LP | Victor | SJX9524/5 | |
CD | Victor | VICC40149/50 | |
演奏について
第100回定期公演を記念して行われた演奏会で、ビクターの収録した5・6日が第100回定期で、翌日の7日は民音公演として開催された。 またこの演奏はこの曲の通称通り1000人の演奏者を舞台に上げるという関西楽団の総力を結集させたもので、マーラー自身による初演以来の規模となった。ホールの方もこれだけの人数に対応するため、反響板を後ろに下げ、10段のひな壇を作り、1000人分の重量に耐えれるように床下の補強を行った。(この様子はレコードのジャケット写真に使われている) ちなみに日本では3番目となる演奏で、朝比奈にとってもマーラーは4番・2番に続く3回目の演奏となり、特にこの8番は生涯でこの3日間のみの演奏となった。 更に加えると、この曲は朝比奈にとって商品化を前提とした初のライブ録音であり、企画モノではない朝比奈&大阪フィルが前面に出たレコードだった。 演奏の方は、決して遅くはないが落ち着いて堂々とした足取りで進められ、響きは雄大で力強く、音符いっぱいに奏でられる旋律はとてもスケールが大きい。この交響曲はオラトリオの性格が強いが、いたずらにドラマティックに煽ったりせず、大変ストイックな曲運びを恒としている。また曲中で要となる部分での表現の鮮烈さは音楽のツボに見事はまったものとなっている。さらに曲全体の構成が分かりやすく、大変見通しのいい演奏となっている。 演奏者全般に言えることだが、技巧的にはみんな上手くない。ただ全員が思い切って演奏していて、対位法の塊のようなこの曲に対してビクビクしている所はなく、全力で曲にぶつかって行く気迫の様なものがこちらに伝わってくる。 音楽は曲が進むに連れて熱狂が加わってきて、最終の合唱では大胆なスローテンポから全曲中一番の壮大さと崇高さを引き出し、輝かしいクライマックスとなっている。ただCDの復刻が良くないのか、その爆発力が上品に抑えられたように感じられ、コーダでの熱い高揚感がこちらには伝わってこないのが残念に思う。 余談だが、朝比奈が80歳となる1988年の8月8日に8番を再演する計画が持ち上がったそうだが、合唱団の確保が出来なくてお流れになったそうだ。ただ本人も「あれは一生で一度きりのつもりでやったから出来た」と語っていたので、残念だが仕方ないのかもしれない。 《合唱》 大阪音楽大学cho、大阪メンズcho、アサヒcho、グリーンエコー、アイヴィcho、関西歌劇団、コードリベッドコール、大阪・神戸・奈良放送児童cho 《独唱》 樋本栄、岡田晴美、永井和子(S)/桂斗伎子、羽場喜代子(A)/伊藤富次郎(T)/三室堯(Br)/楯了三(Bs) |
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録音について
このレコードの成り立ちは少々複雑なので詳しく説明すると、まず最初にビクターから“ディスクリート方式”という4チャンネルで再生できるLP(CD 4 K7513/4)が発売された。その時、普通の2チャンネルシステムで聴けるよう朝比奈が(もしくは合唱団関係者が)自主制作のLP(PRC-70007/8)を出した。(この自主制作盤は5・6・7日のうちどれか1日だけの音源を使用しているらしいが、不明) のちにビクターからも2チャンネルステレオ用のLP(SJX9524/5)が発売され、CDの時代になってCD(VICC40149/50)として復刻された。またサンプル盤(番号不明)はビクターがディスクリート方式を広めるために作ったもので、この曲の最終合唱が収められている。この盤には様々なジャンルから選曲されているが、曲の規模や収録時間から言っても当演奏が目玉であることは明白で、レコード会社にとってもこの録音が一大イベントだったことがうかがえる。 2群に分かれた合唱を強調するためか、左右のチャンネルへ少々強引に合唱を振り分けている。マイクのセッティングはオケの真っ只中にいるようなオンマイクで、各楽器のアタック音がくっきりと聞こえる。声楽陣については奥行きを感じさせないが、管弦楽陣については幾分奥行きが感じられる。 もこもことしたフェスティバルホール独特の残響もしっかりと入っており、超巨大編成の録音にしては意外にも臨場感はしっかりとしている。 音自体の鮮度は極めて普通だが、音の輪郭は健闘している。(合唱は人数が多すぎるので、声が団子状になっているが、これは仕方ない) ただ方向性がやや強調されすぎで、ダイナミックレンジも低音楽器を除き狭い。 編集は収録された5・6日の演奏を使用しているが、オープンリールテープの切り替わる箇所がはっきりと判ってしまう。 |
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同時収録
以下はオムニバス盤のみ ・続・夜の大捜査線(CD−4スタジオ・オーケストラ) ・時計じかけのオレンジより(フィルム・スタジオ・オーケストラ) ・ノックは3回(小野寺武司とロス・オノデラス) ・ひまわりの小径(ビクター・オーケストラ) ・雨(同上) ・栄光への脱出(同上) ・青い月影(ファンタジック・ストリングス・オーケストラ) ・スターダスト(塩田治男、白磯哮、荒尾正孝、ビクター・オーケストラ) |
1975.7.19 L | 大阪フィル | 東京文化会館 | ★★★ |
CD | 大阪フィル | GDOP-2004 | |
演奏について
第14回東京定期公演の模様で、同曲2回目の演奏となる。 テンポ自体は中庸的であるが、必要以上に揺らしてこないので、とても落ち着きのある演奏となっている。通常の朝比奈の演奏だと、音符いっぱいに音を伸ばした歌い口が身上となっているが、この演奏では比較的音が短く切られているので、いつもにも増した素朴さに満ちている。その一方、音楽には若々しい熱気があり、非常に男気あふれるマーラーとなっている。 低音から積み上げていくやや硬質で実の詰まった響きは日本のオケらしからぬ音色をしているが、アンサンブルの難しい所になると急におっかなびっくりになる様子が伝わって来てしまう。しかし必死でやっていることも同時に伝わってくるため、当時の国内オケ全体の実力を鑑みるならその点はご愛嬌と言えるだろう。 全体的に淡々と進んでいくが、終楽章に入ると目が覚めたように弦が思い入れたっぷりに歌い始める。そして最後は調和の取れた世界の中へ包まれるようにそして穏やかに消えていく。 前3楽章が非常に男性的だが少々素っ気ないものとなっている一方、終楽章は大変聴き応えのある演奏となっている。 |
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録音について
多少ひなびた感じがするのはテープの経年変化のせいだろうか。ダイナミックレンジもやや頭打ちとなっているが、左右の広がりは良く、奥行きも感じ取ることができる。また低音の音の粒が潰れ気味なのは会場のせいかもしれない。 |
1983.2.15 L | 大阪フィル | フェスティバルホール | ★★★★★ |
LP | キングレコード | K25C361/2 | |
CD | キングレコード | KICC158/9 | |
演奏について
第190回定期演奏会の模様。同曲3回目の演奏となるが、同年4月14日に行った東京響との演奏が最後となったため、大阪フィルとはこれが最後の演奏だ。 ゆったりとしたテンポで進められていくが、大海原で波に揺られるようなスケールの大きさと呼吸の深さがあり、音楽に包み込まれるような心地好さが存在する。演奏はかなり無骨で艶などは皆無に等しく、芝居気もまったくないが、無表情で素っ気ないのではなく、とうとうと流れる音楽の中にもかなり大きな起伏があり、部分部分では力強い表現を採る。 75年の演奏と比べてオケも技術面がかなり上昇したのか、スローテンポにもかかわらず、演奏には余裕が感じられる。 中間2楽章の構造を大変明確に提示するので、これらの楽章の見通しが非常に良く、他の演奏で時折見られる妙におざなりだったり逆にヘビーすぎることがなく、自然な流れで、かつ徐々にテンションを高めながら聴くことができる。 無骨な手触りながら、楽章を追うに従ってテンションは緩やかに上昇し、終楽章では密度の濃いふくよかな歌が歌われ、奏でられる旋律がひたひたと心に沁みてくる。終楽章後半のピアニシモモードになっても音楽自体はか細くなったりせず、コーダに至ると非常に心地好い安堵に包まれて穏やかに終了する。 無骨で、オペラのようにドラマチックとなる部分のない演奏だが、朝比奈だけが表現できる独自の世界があり、唯一無二の境地を示した演奏と言える。 この演奏を聴くとどうして90年代に再演してくれなかったのか残念に思うが、朝比奈は「この曲はみんなが必死になって演奏しないと出来ない曲だが、今はもうしんどい」と語っていたので、その可能性はきっと低かったのだろう。 |
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録音について
かなりのオンマイクだが、音場は左右に良く広がっており、楽器の音も鮮明に収録されている。高音から中音域の存在感がやや強めで、低音は音の粒が溶け気味である。 また楽譜をめくる音やイスの軋む音がそのまま入っている。これはオンマイクの影響だと思われるが、変に修正して消そうとしていないため、結果として音全体がクリアーに収録されている。 |
1984.10.19 L | 大阪フィル | フェスティバルホール | ★★ |
LP | キングレコード | K20C461 | |
CD | キングレコード | K33Y175 | |
CD | キングレコード | KICC155 | |
演奏について
朝比奈の演奏活動の早くから取り上げようとしていたが、歌い手(特にテノール)に恵まれなかったため歌手の出現を待った、というエピソードがこの曲にはある。(外国からテノールを呼んでくるという考えを持たないのが朝比奈らしい) その「大地の歌」初の全曲録音がこの演奏。 全体にゆったりとしたテンポで進むが、ソロの集合体のようなこの曲にこのテンポは辛いのか、時折アンサンブルが非常に不安定となる。一方で、終楽章に照準を定め、前5つの楽章のすべてが終楽章へ自然と流れるように全体の設定をしているあたりはさすがだと思う。(テノールの楽章とアルトの楽章で大きく雰囲気の変わってしまう演奏が多いが、この演奏ではそれがない) またこれは録音のせいかもしれないが、音の強弱の幅が狭く、オケに吼えて欲しい所でフォルテが立ち上がってこないので、のっぺりと曲が進む印象を受ける。 所々ではハッとするような美しい響きがすることもあり、まったくダメとまで言わないが、“アバタもエクボ”までは至らない。 テノールは若々しい声をしているが、朝比奈のスローテンポについていくのに必死なのか、ブレスが上手く入っていない。特に第1楽章では朝比奈が大きくリタルダントをかけたためかテノールとオケが大きくずれてしまっている。また最高音での聴かせ所では声が出ていなかったり、フレーズ最後の処理がおざなりになっているなど問題点は多い。 アルトはテノールと違って常に安定しており、深みを感じる声はこの曲のイメージにも良く合っていて好ましい。 《独唱》 伊原直子(A)/林誠(T) |
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録音について
独唱が前面に出てくるのは当然だが、オケも同様に前面へ張り出して来てしまっている。合わせて奥行き感がないため随分と平面的に聴こえ、マーラーの立体的なオーケストレーションが幾分とスポイルされている。またフェスティバルホールらしくない深いエコーが薄っぺらい録音をごまかそうとしているような気がして仕方がない。そしてダイナミックレンジも狭い。 |
1995.11.11 L | 大阪フィル | ザ・シンフォニーホール | ★★★ |
CD | Pony Canyon | PCCL-00326 | |
CD | Pony Canyon | PCCL-00523 | HDCD |
演奏について
95年の“朝比奈隆の軌跡”における演奏で、朝比奈最後のマーラーとなった。 テンポ設定は84年盤と同じく遅めのテンポを採っていて、浮ついた所や演奏効果を狙ったあざとい所のない堂々とした演奏となっている。 基本的な解釈は84年盤と同じだが、オケの精度が飛躍的に向上していて、音色に深みと美しさが具わっている。またフォルテッシモでは独唱の声を掻き消してしまうほどの迫力だが、単に怒鳴るのではない、低音からどっしりと実の詰まった音をしているのがとても良い。終楽章での寂しさを湛えた管弦楽はかなり聴き応えがあるが、アルトがその域に追いついていないもどかしさを感じてしまう。 独唱者は84年盤と同じ(それどころか新日フィルの時にテノールが変わっただけで、他は必ずこの2人)だが、この演奏でのテノールは朝比奈のスローテンポにもしっかりとついて来ており、最も高い音でも何とか歌えていて、声がまったく出ていないと言うことはなくなっている。それでもやはりふらつく箇所があるため、安定感があるとは言いがたい。 アルトの方は前回と同様の深い声を聴かせてくれているが、今回はやや声に張りがなくなった感を受ける。しかしこれは曲が進むにしたがって調子が上がり解消するので、あまり気にならなくなってくる。 《独唱》 伊原直子(A)/林誠(T) |
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録音について
過剰に独唱が前に出ることもなく、ややオフマイク気味のセッティングとなっている。そしてオケが独唱の後ろに展開していることが判る奥行きある録音で、左右にバランスよく広がり、シンフォニーホールの臨場感が充分に伝わってくる。加えて音量の小さな音も良く拾っているが、キャニオンの他の優れた録音と比べると音色にやや曇りがあり、その点が少しだけ残念だ。 |
《 総 評 》
1995年の“朝比奈隆の軌跡”で3曲取り上げたのを最後にマーラーは「卒業」してしまいましたが、残された演奏はどれも朝比奈らしい味をもっているものと言えます。
6番と7番は文字通り“発掘された”演奏で非常に貴重なものですが、未だに4番と5番についてはテープの存在が確認できず、NHKや朝日放送などの放送局がどれだけ記録していて、どれだけ保存しているかにすべてが掛かっている状況です。
(4番は朝比奈が勉強用に録音したもののみ、5番は84年フェスでの演奏が録音されているのみ)
また「さすらう若人の歌」や「亡き子を偲ぶ歌」などの歌曲も演奏しているのですが、これらのテープがあるとは聞いておりません。
また新日フィルとの「大地の歌」も映像が残っているはずです。
ちなみに各曲の演奏回数は次のようになっています。
・3番(3回) 82年6月18日、90年1月22日、95年9月17日
・4番(3回) 68年9月2日・11月29日・(9月2日前後にもう1回演奏しているらしいのですが不明)
・5番(7回) 48年10月30日・31日(ともにアダージェットのみ・関西響)、74年7月22日・11月28日(ともにアダージェットのみ)、80年5月16日・7月28日、84年11月13日
・6番(3回) 79年9月3日・7日、92年2月18日
・7番(2回) 81年7月15日・28日
・8番(3回) 72年6月5日・6日・7日
・9番(4回) 73年11月20日、75年7月19日、83年2月16日・4月14日(東京響)
・大地の歌(7回) 53年1月10日(アルトのみ抜粋・関西響)、84年10月19日、89年7月9日・27日、94年5月9日・11日(ともに新日フィル)、95年11月11日
・さすらう若人の歌(3回) 52年9月15日・16日(ともに関西響)、78年4月19日
・子供の不思議な角笛(1回) 84年10月29日(日本フィル)
・亡き子を偲ぶ歌(5回) 48年10月30日・31日(ともに関西響)、52年9月4日(関西響)、63年3月28日、84年11月13日
※参考文献:9番(大フィルレーベル)のライナー、朝比奈隆 栄光の軌跡(音楽之友社刊)
当ページで使用した略称
・大阪フィル=大阪フィルハーモニー交響楽団
・関西響=関西交響楽団
・日本フィル=日本フィルハーモニー交響楽団
・新日フィル=新日本フィルハーモニー交響楽団